大町ルート(詳細は右のリンク先
→http://nyt.trycomp.com/takano/oroot.htmlを参照)
と呼ばれる場所を生活圏としてきた私にとって、真鍋さんにそういった物流ルートが、拉致に利用された可能性を聞いた時、その恐怖をどうやって一般に伝えようかと思い、地図を作成したのです。
その思いが通じて、こうして独自で拉致事件に関心を持ち、解明に協力していただく足がかりになっていると思います。一人ではできないことを、本当にたくさんの方の協力をいただいています。
ただ、張本人である家族として、気になったりした点について、先日メールにて、ご協力のお願いをし、何点か修正をしていただきました。
まず兄は、ジュリア祭のタイミングで失踪したのではありません。ジュリア祭は5月で、兄の失踪はかつお祭り神事の三日前の7月30日です。くちなしさんが、この夏の時期に島を訪れていたのならば、工作員と同じ船に乗船していたかもしれませんね。
そして、攻めるべきはジュリアではなく、そのお祭りに目をつけ、下見をしたのではないかと言うことで、便乗し、工作をかけさせた、金政権に他なりません。この点がずれていくと、日本の皆さんは〈犯罪〉や、〈犯罪をせざる得ない状況〉を憎まず、罪のない北朝鮮人民や、工作員化された拉致被害者の方を、憎むようになってしまうのではないでしょうか?
寮生の合宿は、新島と神津島を年代わりで訪れるのが、定番だったそうです。そんな伊豆諸島に調布から定期便の飛行機が飛んでいるのも、ただの偶然でしょうね(^_^;)また、伊豆諸島で採れる天草から、長野名産の寒天ができるのも偶然ですね(^_^;)
寮についてですが、兄は一年生では下宿をし、2年の時に、現在大学の敷地内にある寮に住んでいました。現在の方が格段規模が小さく、現テニスコートの辺りまでが旧寮地だそうです。
総連の幹部学校があった辺りではないですが、朝鮮銀行のビルの辺りが、一年の時の下宿先になります。
京王閣についても、兄は失踪前に島に行くための資金作りに、アルバイトしに行った形跡(通帳に入金の記録あり)のある「すし屋」が京王閣の近くです。大将は当時の方のままでしたが、あまりに昔過ぎて、兄の記憶も、後で訪問した父の事も全く記憶になくなってしまっていました。ただ、朝鮮人が、食事に訪れる事は良くあるとの事でした。
修正元の文書→http://blog.livedoor.jp/kuchinashi_tou/archives/2005-10.html(10月25日大町ルートを行く その5 調布から八王子)
修正記事→http://blog.livedoor.jp/kuchinashi_tou/archives/50347012.html
こんな具合に、KONA自身や、民間団体である調査会、が捜査?をし、関心をもたれた方々の協力が拉致問題の解決に力を貸してくれるのですが、国からは、未だ蚊帳の外扱いされている感じが消えないのですが・・・。
くちなしさんの紀行文についてはまた、ご紹介させていただきます。






