今年も7/30がまいりました。
兄が消えてから34年になります。
私は後2年2ヶ月後から3年3ヵ月の間に、兄と再会できるのでは・・・と思っています。
その為に今動くのが大切なのか、その時まで力を温存しておくべきなのか、選択に悩んでいる所です。
家族の近況をお知らせしますと、父は今年のお正月77歳になり、満で喜寿となりました。
天然の蔓や松ぼっくりなどで、リースを作っていたところから、アイディアで、松ぼっくりなどを組み合わせて、ミニクリスマスツリーやミニ松飾り、諏訪の御柱風飾りを作って、プレゼントしてくれました。
ただ寄る歳に、体調の優れない日も増え、かなり耳が遠くなり、電話で話すのにも不便な感じになってきました。
母は、昨年の脳血栓になった後、治療のお陰か、交通事故の後遺症も多少緩和され、気持ちも元気になったのか、編み物を再開しています。母にとっては編み物が一番気の安らぐ事のようで、体調を見ながら、時にちょっぴり無理をしながら、コツコツと編み進めています。
母の作品を調査会の寄付とするため、レンタルBOXにてネット販売もされていますので、宜しければご利用下さい。
http://kei-collection.co.jp/max_c/html/AA00_Blue_wish2.htm
日記の話が前後しますが、昨年のお盆に、両親の祖父母のお墓参りをした事を記しましたが、それがきっかけで、母が自分の先祖を尋ねたいと言い出し、便乗して父の兄弟が集まる事になり、9月に土湯温泉に一泊したそうです。
集まろうと言い出してくれたのは、父方の本家に嫁いだ伯母でした。
昨年お盆に祖父母の仏壇を拝みに伺った時に、17年ぶりぐらいに再会したのですが、つまみに枝豆を豪快に分けてくれました。「また数年のうちに伺いますね」と言って分かれたのですが・・・先日他界いたしました。
兄・清文にとっても、甥っ子がどうなったか解らないまま、伯母が亡くなった事になります。
金元工作員が来日し、特定失踪者に中の人で、見たことがあるかも知れない人がいる話を、飯塚耕一郎さんが口にされた時、拉致被害者に、曾我ひとみさんが居たときの衝撃と、似たようなものを感じました。
今日は、10/23に都庁広場で行なわれる、特定失踪者家族の集会のディスカッションが行なわれます。
特別な今日こそ参加したかったのですが、所用で参加できないのが残念です。
兄が消えた日、これからどうなるのか、どう動かしたら良いのか、更に思案の時が来ているようです。
私のスケジュールは日々たて込んでいて、ゲームのように面白く時間が過ぎて行きますが、北朝鮮に拉致された人々は、同じ時間をどうやって過ごして来たのでしょうか?
そしてその中に兄・清文は無事過ごしているのでしょうか?