→http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/14846346.html
母が辛い思いをしたからなのか、逆にKONAは、いつも人の縁に助けられて、困難を、乗り越えてきました。
財産と呼べるような物質的価値のある物は、何も残っていないKONAですが、困ると、誰かに救いの手を差し伸べられ、架け橋を渡してもらい、人生を歩んで来ました。
このブログを教えて貰い、調査会でも参照しているという電脳補完録さん。出会いのきっかけは、ブルーリボンバッチを分けてもらおうと連絡した、ブルーリボン運動の提唱者の皆さんからでした。「ピンクとか、イエローでなくて良かったですね・・・。」と言っていた方たちです。
→http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/5394977.html
拉致問題全体の解決、失踪者も同じビジョンで捕らえてくださる事によって、とても心強く思っています。
前の会社では、カラオケサークルで普通に話をしていた事から、代表取締役自ら、問題広報を手伝っていただき、また、数人の電気通信大学関係者に、連絡をつける事ができました。
隣の部の部長には、三宅島での証言を頂きました。
自分の部の部長には、PCの操作方法等教えてもらいながら、大町ルートの図表作成や、講演会での「てにをは」、職場の問題解決方法を通して、わかりやすい問題提示の仕方等を教えていただきました。そして今の職場への架け橋もしてくださいました。
→http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/4557316.html
↑この記事で書き忘れましたが、この時の課長の知人(昔の上司?)の方が、2004年1月11日杉並区で行われた「郷土と同胞を愛する講演会:佐藤勝巳、横田拓也講演」を主催される立場の方で、失踪者家族として初めて、発言の機会を与えていただき、西村幸祐さんと知り合うきっかけとなりました。
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=1689
2月から、ブログで言いたい事が増えて、頑張って書いていますが、同時に色んな事を画策しています。
その一つ、短波放送『しおかぜ』へ、家族直接の呼びかけ録音を模索する中でも、不思議な縁がありました。(後日記事にします。)
また、別の画策は、連絡先を教えて合っても良い家族の名簿が、調査会より届いた事ではじめました。
家族が直接情報発信をしている、このブログを、PCの見ることのできないであろう、多くの年配のご家族に紹介し、他の失踪者ご家族も両親を励ますように、交流して行きたいとの思いから、印刷を時系列に切り貼りして直し(ブログをはじめ、多くのPC記事は最新書き込みが最上に来るため、通常の日記状に配置しなおし)て、2005年末までの記事を、封書にてお送りしました。
これまでに、非公開を含めて数名の失踪者家族の皆さんからお返事を頂き、調査会の家族懇親会時にも思うのですが、同じような苦しみを経験している関係上、親戚以上に、親身になることができ、親戚が増えたみたいで、ますます頑張って励まし、代弁して行かないと、と感じています。

実際、拉致被害者同士、金政権下で夫婦となった事が、救出後分かり、本当に親戚になってしまう家族だってあるでしょう。
後に起こりうる「被害者が加害者」「救出に時差が出たとき」「行政の対応」「癒されない結果への癒し方」等の問題へ対応の為にも、現段階での、この繋がりが重要になってくると思うのです。この問題点についても、後日記事にしたいと思います。
4/16横浜市開港記念館で行われた、神奈川県民集会の広報を、衆議院議員の松本純議員にお願いしたことも、以前記事にいたしました。
→http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/16808600.html
その流れの中で、KONAの近所の汐見台での地域広報誌に、紹介していただける事になりました。
他の市街地同様、横浜をポイントに、消息の分からなくなっている失踪者が、公開している失踪者だけでも、沢山居ること、現在、私や他の家族が住んでいることで、拉致事件を身近に感じて欲しいこと。
拉致事件は政府が認定していない大勢の被害者が居て、現在進行形で、緊急に解決し、全員救出しなければならない事、一般的ではありますが、訴えてみたいと思います。
こういった事に繋がっていくのが、大切にして行きたい、KONAの不思議な縁です。






