マッピング・リスト8 失踪前後に、不審な電話が家族にあったケース
今井裕 昭和44(1869)年 「2〜3日以内に裕を返す」という平成5年10月2日 午前9時半ごろの電話
前上昌輝 昭和52(1977)年 「前上昌輝の家のものか」という男性からの電話仲里次弘 昭和52(1977)年 「ちゅうさんと呼ばれている日本人が北朝鮮にいる」という男性からの電話
布施範行 昭和53(1978)年 「範行さんいませんか」と標準語での女性からの電話
安達俊之 昭和56(1981)年 「トシユキつかまっているよ」という子供のような声の電話
河嶋功一 昭和57(1982)年 「これから北朝鮮に行く」という友人宛の本人からの電話
山本美保 昭和59(1984)年 すすり泣くような無言電話
山下貢 平成元(1989)年 「ごめんな」とだけ伝えた男性からの電話
佐藤順子 平成12(2000)年 日本語とは思えない話し声での会話
※ 失踪後に家族のもとへ不審な電話や無言電話がある事例は多数あるが、ここで掲載したのは拉致との関係が疑われる電話があったもの。
以上調査会ニュースより
拉致の疑いのある失踪者家族の元へ、不審な電話がある例が散見される事は、以前から言われてきました。KONAの家族の元へ無言電話など、目立った不審電話は覚えがないのですが、一般的な無言電話の中に、関連するものがまぎれていなかっただろうかと、今になって考えてしまいます。
KONAが小学校に上がる前に起こった兄の失踪であり、小学生ぐらいから電話を取り次いでいたのですが、幼い頃は、無言電話の意味が理解できていなかったかも知れません。
また、兄失踪から、母方のおばあちゃんが病死、母の兄である伯父さんが事故死するなど、不幸が続いたので、そこに意識が向かなかったかも知れません。
話はそれますが、兄失踪の翌年、膠原病で亡くなったお祖母ちゃん、最後は、末娘の母と、その長男の兄の名前を、うわごとのように言いながら息を引き取ったと言います。
拉致だったとしたら、自分が居たことのある国に連れて行かれた孫を、お祖父ちゃんと一緒に見守っていてくれると思います。







未だ帰国していない拉致被害者の生命に関する重大事項です。何かご存知の方がいらっしゃったらお教え頂ければ幸いです。
(マルチポストになってしまいます。ご了承下さい。)
松本京子さんも認定されましたね。今度はKONAさんのお兄さんも含めてあちらにいる全員認定されますように(認定より全員とにかく帰して頂戴)いつも考えています。
松本京子さんがいなくなった当時は私も隣の県をうろうろしていました。(勘違いされそうですね)
今週東京に出向くことになりました。
お会いできるといいですね。
時間があればあそこにも寄りたく思います。