昨年11月に転職し、3ヵ月派遣で働き、2月から採用になったのですが、前任者は、なんでも自分の頭の中で行なってしまい、それはそれですごい記憶力なのですが、新人にも解りやすくしたり、部下に振り分けるのが苦手な性格のようでした。そんな彼女が退職した先週から、バタバタしてしまいました。
そして、思い出すのが、前職でお世話になった部長。彼も今年3月に退職しましたが、今だに連絡を取っています。
仕事における問題解決方法、解らない人に理解させるアプローチ方法などは、業務においても、相談に乗ってもらっていた拉致問題の講演内容や、資料作成においても、沢山教えてもらう事がありました。
昨年4月の「日本再生フォーラム」での講演内容(あおいのママさんがいつも心血を注いでテキスト化してくれます。)や
http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=140&no=14
右のリンクにもある、大町ルートの資料は
http://nyt.trycomp.com/takano/oroot.html
そうやって、部長の協力で、できたものです。
取締役とも、カラオケサークル仲間だった事から、電気通信業であるその会社の関係者で、電通大出身者に、情報を求める連絡を取ってもらいました。何も解らなかった2年前、どれ程有り難かったことか。
そんな折、隣の部の部長と拉致問題について雑談をしていると、「自分は三宅島の出身なんだ。」と、お話しがありました。50代の部長は20歳まで、三宅に住み、戦前の幼少期に浜で朝鮮人の子供と遊んでいたと・・・。当時は天草漁に海女さんや、漁師として働く在日の親が、島に子供をあずけていたので、一緒に遊んでいたと言う事でした。しかもその姿は、帰国政策の頃居なくなったと。もし、あの時、帰国しているならば、伊豆諸島はじめ、伊豆半島・房総半島の海岸線に詳しい者がかなり居るのではないか、との内容でした。聞いた直後に背筋の凍る思いで、調査会に報告したのは言うまでもありません。
また、会社を挙げて、調査会への寄付を募り、KONAのボーナス以上の成果を募金することができました。
その後、部長や取締役の計らいで、社内に失踪者のポスターや、兄失踪の状況説明データを貼りだすスペースを取ってもらい、昨年いっぱい掲示して頂きました。
残念ながらその資料は、連絡の不行き届きで、年末の大掃除の時、破棄されてしまったようです。
この職場、首相官邸の斜向かいで、KONAの座席から部長を見るとこんな感じでした。

叫べば聞こえそうな距離に首相がいたのですが、その手前に座っている人の方がどれほど頼りに見えた事でしょう!!
その会社には、約10年間勤めましたが、時代の流れから、いつしか技術者の採用しかなくなり、右肩上がりと行かなくなったのもあって、本採用を諦め、転職しました。10年間、色々ありましたが、いろんな人の助けで乗り越えてきました。特に部長。ありがとうございました。そしてこれからも、日本の大きな国際問題解決のため、相談に乗ってください。
そして、KONAは首相官邸監視業務を離れたのでした。
【関連する記事】