2005年07月29日

明日、兄失踪から29年…

捜索ビラ.bmp

画像は、兄の捜索の為、東京・神奈川・静岡等、海岸線付近の主要交通機関に張って頂いたという、捜索ビラです。

明日7月30日は、兄・清文が、神津島から突然失踪して、29年目になります。

今回の記事では、2003年1月14日に長野県庁で41人目の公開特定失踪者として記者会見したとき、父・清正が説明した、失踪状況の会見文を転載いたします。なお、その後の調査で、多少変化のあった部分がございますが、公開当時の文章を、そのまま掲載いたします。

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・1976年(S51)7月28日、17名(本人含)の寮生で寮出発。翌29日朝、神津島着。
・29日と30日午前、寮生活について会議。30日の会話の中で「山が晴れている、今日は山(天上山・海抜574m)に行く」と言っていた。
・30日午後1時頃に山に行ったらしい。午後6時半になっても宿に戻らないため、警察に連絡。遭難ではないかと、消防団50名、学生16名、警察17名、一般協力者50名、計130余名で、夜の11時頃まで捜す。
・翌31日、早い人は朝3時半より消防団72名、学生16名、警察17名、他一般協力者が、夕方まで捜したが発見できず、続く8月1日も消防団、学生、警察で捜した。
・海では捜索船が2艘で、島を反対回り、ヘリコプターも飛んで捜索した。
・塩尻の私達の所には、不明翌日の31日朝8時、神津島署より電話があり、8月1日午前5時20分島に到着。午前7時頃より低い山の方を終日捜したが見つからない。
・8月2日は島最大の夏祭りのため捜索はできず、翌3日、約80名15班に分かれて捜索を行う。海上も舟で島を巡回するも、遺留品その他の発見はできなかった。
・ヘリコプターによる捜索は、8月1・4・8日天上山の危険場所と、人の目の届かない場所を2〜3回、捜索を続けた
・8月4日私(父)と寮生6名で天上山に登山し終日捜索を行ったが遺留品遺体等の発見できず。
・8月8〜9日の2日間、警察犬2匹警視庁よりヘリで運び、鑑識警察署員、消防団、役場職員、私(父)、弟(正秀)、12名と14名の2班に分かれて捜索を行ったが、何の手がかりもない。
・10月2日から伯父4名、私(父)、神津島から役場・消防団・警察署計8名が2名づつ4班に分かれて天上山だけ捜索したが、遺留品の発見も手がかりもない。
・その後1977年(S52)7月、1978年(S53)6月と3回訪島し捜索したが、手がかりひとつ見つからなかった。
・1979年(S54)10月8日長野県より登山家(富沢勲夫氏)、伯父2人、民宿主人、私(父)と、天上山の断崖と下の茂みを捜索したが、なにも見当たらない。
・1984年まで、神津島に合計9回捜索に行ったが、何も見つからず不明のまま、現在に至っています。
・当時1976年(S51)7月12日に近隣の新島で22歳の女性が行方不明になっているのを聞きました。後で雑誌『女性自身』の10月26日付紙面に記事が出ていました。

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兄が失踪に至る、そして両親の必死の捜索の様子を、この時期改めて見直すと、本当にやりきれない気持ちになります。失踪当時は何もわからなかった。拉致かもしれないと思ってからも、それを確認し、ただちに救出するする術はない。この、家族の無念の思い、皆さんはどう思われますか?
posted by KONA at 12:41| Comment(1) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

1969年7月沼津市の海岸から
大屋敷正行氏失踪。
脱北者権革氏の証言により拉致が発覚。
調査会も1000番台登録。

1977年9月旭川で
前上正輝氏失踪。私は当初疑っていた。
なぜなら、内陸部であるからだ。
ところが、最近網走の女性が・・・。
北海道も朝鮮総連支部がたくさんあるのです。
ゆえに今では彼も拉致されたと思うようになった。

さて、貴方のお兄さん
上の二件を足して二で割ったような事件ですね。
まだ、拉致とは言い切れない。
ところで、無言電話か、不審な電話はありましたか?

Posted by 椰子のみ at 2005年07月31日 00:42
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