2007年08月07日

マッピングリスト13(車ごとの失踪)

7月末に調査会から発表になりましたが、掲載が遅れてスミマセン。
元々荷物持ちが、引越ししたため、まだ、ダンボールが片付いていない有様です・・・。
7/28には、藤沢で、市民集会がありましたが、予告を掲載しなかったばかりでなく、その様子もお知らせしないままですね・・・。兄貴に怒られないように頑張りますm(_ _)m

−−−調査会ニュースより引用−−−

マッピングリスト13(車ごとの失踪)

◎車ごとの失踪について

・車の処分は単独では困難が伴う。したがって国内に協力者がいた可能性が高い。解体業者等の協力を得たのではないかと考えられる。

・車を残した拉致の場合は何らかの偽装工作が考えられるが、車ごとの失踪(拉致)では逆に全く証拠を残さないようにしたと考えられる。

・乗車した人間を拉致するとすれば、顔見知りか、もしくは何らかのコミュニケーションがとれる状況をつくり出した上で拉致に及んだのではないかと考えられる。

・車が残されたケースも含めて、夫婦、アベックなど複数で失踪しているケースが多い。

・年代的な偏りが見られる。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
A(男)・B(女)
昭和44(1969)年
大阪府〜和歌山県で車ごと失踪。

園田 一・敏子
昭和46(1971)年
鹿児島県大崎町から宮崎空港に向かったまま車ごと失踪。

峰島英雄・関谷俊子・遠山常子
昭和49(1974)年
千葉市内の飲食店から「家に送っていく」と3人で出かけたまま車ごと行方不明に。

石川和歌男
昭和49(1974)年
東京都八王子市で職場の忘年会終了後、同僚を車で送った後、車ごと失踪。

C(女)
昭和49(1974)年
徳島県内の自宅から普段着のまま車で外出し失踪。車も見つかっていない。

D(男)・E(女)
昭和53(1978)年
Eさんが岩手県内の勤務先に出勤せず。同日上司のDさんも失踪。Eさんの自家用車が発見されていない。

川合健二
昭和54(1979)年
山梨県内で接触事故を起こし被害者を病院に送り届け、「免許証を取ってくる」と言い残し、車ごと行方不明。


昭和54(1979)年
長崎県内で仕事に出かけたまま行方不明。車も見つからず。

安達俊之・G(女)
昭和56(1981)年
石川県鶴来町の友人宅を車で出たまま、車ごと行方不明。

H(男)
昭和58(1983)年
名古屋市内の現場での仕事を終え、自宅に「これから帰る」と電話をしたまま、車ごと失踪。

I(女)
昭和59(1984)
福井市にて、仕事について2日目に失踪。乗っていた自家用車も見つかっていない。

J(男)
昭和62(1987)年
大阪府内の下宿先から失踪。車もなくなっていた。

K(男)・西村京子
昭和62(1987)
山口県湯田温泉の居酒屋から、Jさんの車に乗って出かけ行方不明。車は見つかっていない。

和田幸二
昭和63(1988)年
宮崎県南郷町のスナックを出て友人を送り届けた後、車ごと行方不明。

小宮山広明
平成7(1995)年
長野県坂城町で失踪。車も不明。

曽ヶ端崇史
平成7(1995)年
北海道釧路市で食事をし、友人を車で送った後、車ごと行方不明。

安西正博
平成8年(1996)年
名古屋市内の会社寮から車で出かけたまま行方不明に。車も見つからず。

L(男)・M(男)
平成9(1997)年
茨城県波崎町のKさんの自宅から友人Lさんの車に同乗して出かけたまま2人とも行方不明。

和田佑介
平成14(2002)年
広島市内の自宅アパートから失踪。車もなくなっていた。
−−−引用終わり−−−

人が居なくなるばかりでなく、あの大きい車ごと、いなくなるというのは、どういった様子で、拉致工作が繰り広げられたのでしょうか?

また、拉致でなかったとしたら、どんな事件が想定できますか?

そしてあなたは、拉致とそうでない事件との切り分けが出来ますか?
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2007年07月05日

マッピングリスト12(車を残しての失踪)

引越しの慌しさで、掲載が遅れましたが、6月末に調査会から、「マッピングリスト12」が発表されましたので、皆さんも捜査員、や工作員になったつもりで、謎や意図を解明してみてください。

−−−調査会ニュースより引用−−−

マッピングリスト12(車を残しての失踪)

★車が残されての失踪について

(1)偽装工作のために車を利用した可能性がある(失踪場所の偽装、自殺や家出など、拉致以外の失踪への偽装)

(2)長距離の移動により、捜査を困難にすることが可能。
拉致実行とは別に車を移動させたとすると、複数の人物が関わっている可能性がある。その場合、運転した者は日本の道路事情に詳しい人物であると考えられる。
事件に結びつくと思われるケースが多いが、当時警察によって詳しく捜査が行なわれたケースは少ない。

※これ以外に「車ごとの失踪」が15件あるが、今回は除外している。

●米川茂雄 昭和40(1965)年 東京都中央区の築地がんセンターで自家用車を発見。
・車の査定のために出かけていた。

●  A  昭和47(1972)年 山形県の海岸で自家用車が海へ転落。
・車を引き上げたが遺体が見つからず。車検証だけが海に浮かんでいた。

●  B  昭和48(1973)年 福井県の海岸で自家用車を発見。

●三浦和彦・波多野幸子 昭和49(1974)年 福岡県の芥屋海岸で自家用車を発見。
・二人の靴が片方ずつ海岸に残されていた。

●清崎公正 昭和49(1974)年 兵庫県尼崎市内で軽トラックを発見。

●地村保志・浜本富貴恵 昭和53(1978)年 福井県小浜市の展望台で自家用の小型軽トラックを発見
・ハンドルが一杯にきられ、キーがウインカーのレバーに掛けられていた。

●市川修一・増元るみ子 昭和53(1978)年 鹿児島県吹上浜で自家用車を発見。
・車内にるみ子さんのカメラやバッグが、車の近くに市川さんのサンダルが片方残されていた。

●山田健治 昭和54(1979)年 福井県高岡市の越中国分駅で車を発見。
・ジョギング用のジャージが残されていた。普段この場所に車を止め、着替えてジョギングをしていた。

●  C  昭和55(1980)年 静岡県下田市の海岸で自家用車を発見。
・本人は当時埼玉県に居住。ドライブで単身下田を訪れたが、高速道路の領収証は1枚しか残されていなかった。また同じ銘柄の缶コーヒーの空き缶が2つ助手席に残っていた。

●鈴木清江 昭和57(1982)年 静岡県袋井市の居住地近くの空き地で自家用車を発見
・車はロックされていた。財布と買い物したものが残されていたが、バッグがなかった。

●広田公一 昭和59(1984)年 鳥取県大山登山口の駐車場で自家用車を発見。
・登山靴などは車内に残されたまま。また登山口までの行程が記されたメモが残る。

●  D  昭和60(1985)年 茨城県内のファミリーレストラン駐車場で自家用車を発見。
・別の場所で本人と同じ血液型の毛布が発見された。

●  E  昭和61(1986)年 大阪市内の駐車場で自家用車を発見。

●  F 昭和61(1986)年 山形県の港で軽ワゴンを発見。
・本人は自宅から農作業のため畑に向かった。

●  G  昭和62(1987)年 新居浜から神戸へ向かうフェリーに車だけ残され、本人が行方不明

●岡元幸弘 昭和62(1987)年 神奈川県横須賀市の火力発電所脇で自家用車を発見。

●尾上民公乃 昭和62(1987)年 福岡県博多港の岸壁から車が転落。遺体なし。
・車は友人のもの。前日に大阪市内で助手席に乗って友人を待っている間に車ごといなくなっていた。

●山下 貢 平成元(1989)年 福井県越前町の海岸沿いで自家用車を発見。
・釣りに出かけて行方不明。車内に長靴、食べかけのおにぎり、免許証が残されていた。釣り竿は未発見。

●河田君江 平成2(1990)年 山口県豊浦町で失踪 同県阿武町で自家用車を発見
・運転の時は靴を履き替えていたが、運転席には泥がつき、助手席にはシダの葉が見つかった。途中で数カ所で買い物をしたレシートが残されている。また本人の血が付着したカミソリも残されていた。

●清水圭子 平成2(1990)年 岡山県芳井町で失踪 井原市の書店駐車場で自家用車を発見
・免許証、財布、ハンカチの入った小さなバッグのみがなくなっている。また普段履くハイヒールは残されていたが、運転用のズックが見当たらなかった。

●小野寺将人 平成3(1991) 北海道富良野のホテル駐車場でレンタカーを発見。

●松橋恵美子 平成4(1992)年 秋田県合川町で失踪 能代市の海岸で自家用車を発見
・車内に身の回りのもの全てが残されていた。またコンサートのチケットが2枚あった。

●田中正道 平成5(1993)年 千葉県習志野市で自家用車を発見
・車はパンクし、乗り捨てられたような状態。財布、健康保険証などが残されていた。

●富川久子 平成6(1994)年 沖縄県石垣島御神崎灯台で本人の車を発見。
・店で買った子供のミルクはあったが、「買いに行く」と言っていたバレンタイン・チョコレートはなかった。

●松永正樹 平成7(1995)年 北海道苫小牧市の店舗駐車場で自家用車を発見。
・自宅は香川県。福井、北海道で給油した形跡がある。車内には車検証以外遺留品なし。本人が差出人となって車番号、銀行口座番号、暗証番号を書いたメモ、印鑑、車のキーが入っていた。

●岩本美代子 平成7(1995)年 宮崎県石崎浜海岸で自家用車を発見。
・車は砂浜に乗り上げた状態。鍵はついたままで、車内は荒らされていた。後に質屋で本人のカメラが発見される。

●  H  平成8(1996)年 失踪から1年後、北海道釧路市の埠頭で友人の車を発見。
・友人とともに乗車していた。二人とも未発見。

●  I  平成8(1996)年 福井県丹生郡の海岸で自家用車を発見。
・本人は京都府の自宅からいつものように車で出勤。その日の午前中に福井県内でスピード違反で検挙されている。

●竹内 卓 平成8(1996)年 神奈川県丹沢で借りていたレンタカーを発見。

●  J  平成9(1997)年 茨城県鹿島郡で友人の車を発見。友人と二人が行方不明。

●  K  平成9(1997)年 長野県八方尾根麓で車を発見。
運転席と後部のドア・ロックが外れていた。バックミラーが曲がっていた。キーはなし。コンビニのレシートが残されていた。眼鏡、小銭入れが残されていた。
登山靴や登山道具はなし。

●  L  平成9(1997)年 岡山県倉敷市の駐車場で自家用車を発見。

●渡辺栄一 平成9(1997)年 北海道瀬棚郡の川沿いで自家用車を発見。
・車は指紋がきれいに拭き取られた状態だった。

●林 雅俊 平成10(1998)年 福井県丹生郡越前町の海岸で自家用車を発見。
・当時岐阜県垂井町に居住。約2週間前にもこの地域を訪れていた。車内に書き置きのような内容を記したノートパソコンが残されていた。

●松井綾子 平成10(1998)年 茨城県神栖町の海浜公園駐車場で自家用車を発見
・居住地水戸から千葉県の東金、銚子と移動した形跡がある。また途中、給油カードを作成(本人自署)、コンビニエンスストアーで買い物をしたレシートが残されていた。

●坂川千秋 平成12(2000)年 岩手県九戸郡高家漁港で自家用車を発見
・勤務先ガソリンスタンドで給油。メーターと車発見現場までの走行距離が不一致。他の場所を経由したと考えられる。途中のコンビニエンスストアーでビールを購入したレシートが残されている。また本人は普段カーステレオを大音量にするのだが、発見時は音量が絞られていた。

●澤辺和也 平成13(2001)年 京都府宮津市の山中で自家用車を発見。
・車は山中で爆発炎上。遺体はなかった。

●  M  平成14(2002)年 大阪市内の建設現場で自家用車を発見

−−−引用終わり−−−

兄・清文の失踪と関わりは無いように思われますが、神津島へ、真鍋さんと調査に行った際は、「足」「軟禁場所」としての車について、地元の方々に確認をされていた事を思い出します。
神津島は、小さな島の為、人知れず島の外に、車を持ち出すことが、ほぼ不可能なため、車やバイクに至るまで、キーがつけっ放しという、とてもおおらかで、平穏な場所です。
したがって、所有者が知らないうちに、使用され、元に戻されていたら、拉致の犯罪に使用された跡は残らないという事なのです。

拉致事件において、本人の身代わりとして、工作に利用される事の多い大きな遺留品・・・。
その一つが車なのかも知れません。


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2007年03月23日

マッピング・リスト 11

昨日の調査会から11番目のマッピングリストが発表されましたので、紹介したいと思います。


―調査会ニュースより整理して引用―
マッピング・リスト 11  船舶・海上関連の失踪

ここでは海上で船ごと行方が分からなくなったケース、船だけが残されたケースの他、乗客として失踪したケースを取り上げた。また漁業や造船会社勤務、港湾工事など、船舶・海上関連の職業従事者が陸上で失踪したケースも含んでいる。

氏名の前の★は、拉致被害者もしくは1000番台特定失踪者である。(敬称略)

平本和丸 昭和23(1948)年 
【陸上】終戦後トロール船に乗っていた。
中野政二 昭和30(1955)年・漁船員(乗組員12名) 
【海上】東シナ海で乗組員12名が不明に。
羽生弘行 昭和31(1956)年・漁業 
【海上】鹿児島県屋久島の栗生川から出港したまま消息不明。 
★寺越昭二・寺越外雄・寺越武志 昭和38(1963)年      【海上】石川県沖に漁に出て行方不明、船のみ沖合で発見。
小丸勝義 昭和40(1965)年・造船会社勤務
【陸上】東京から赴任地の舞鶴へ向かい失踪。
丸山善昭 昭和41(1966)年・底引き網漁船船員
【陸上】福井県三国町の自宅を出て行方不明。
A(男) 昭和43(1968)年・漁業
【海上】大分県沖に出港後戻らず。船だけ発見される。 
松本賢一 昭和45(1970)年・船の中の家具職人
【陸上】元海上自衛隊勤務。 
★古川了子 昭和48(1973)年・造船会社勤務
【陸上】
山下春夫 昭和49(1974)年・造船会社勤務
【陸上】福井県小浜港岸壁に釣りに出かけたまま行方不明。 
B(男) 昭和49(1974)年 
【海上】小型船に1人で乗り、新潟沖に出漁したまま不明。
明石靖彦 昭和50(1975)年 
【不明】石川県蛸島町鉢ヶ崎海水浴場で海に浮かぶボートに下駄等を発見。
C(男) 昭和52(1977)年・漁船船長
【海上】長崎県壱岐に出港し、船ごと消息不明。
金武川栄輝・牧志孝司・田島清光・儀間 隆・D・E・F 昭和52(1977)年
【海上】マグロはえ縄漁船で沖縄を出港。沖縄近海で操業。
至極 透 昭和53(1988)年・元サルベージ船船員
【陸上】和歌山市の勤務先寮を出たまま不明。
小久保稔史 昭和55(1980)年・船員(機関長)
【陸上】京都府舞鶴市のスナックを出たあと行方不明。
城鳥正義 昭和55(1980)年・大型貨物船機関士
【陸上】富山県伏木港に停泊中行方不明。
野田福美 昭和57(1982)年・漁業
【海上】島根県美保関から出港。礼文島沖でイカ漁に出て消息不明。
松本重行 昭和58(1983)年・漁業
【海上】舞鶴港沖で刺し網漁業中、行方不明。
G(女) 昭和58(1983)年
【不明】鹿児島→大阪南港のフェリーからカバンだけが見つかる。
H・I・J・K・L・M(男) 昭和59年(1984)年・イカ釣り漁船。【海上】日本海中部沖で船ごと消息不明。
N(男) 昭和62(1987)年 
【海上】スペインからイギリスへのフェリーに乗船。下船の記録なし。
O(男) 昭和62(1987)年
【海上】新居浜→神戸のフェリーに乗用車で乗船したが行方不明。
林田幸男・P 昭和63(1988)年
【海上】遊漁船で宮崎港を出港後、船ごと消息を絶つ。
矢倉富康 昭和63(1988)年・漁業
【海上】鳥取県・境港港を出港後戻らず。竹島沖で船が発見
和田幸二 昭和63(1988)年・漁船員
【陸上】翌日から漁に出る予定だった。
日高満男 平成元(1989)年・漁業
【海上】鹿児島県諏訪之瀬島の港を出港。船は沖合で発見。
仲桝忠吉(他6名) 平成6(1994)年・漁船員
【海上】フィリピン東方海域で消息不明に。
加藤義美 平成7(1995)年・船員
【陸上】鹿児島県屋久島の宮之浦港の作業台船から。
福本勝利 平成7年(1995)年・実家の漁業を手伝っていた
【陸上】
宮内和也 平成9(1997)年
【陸上】海洋センターの艇庫へ行くと出かけたまま不明
宮本直樹 平成14(2002)年
【不明】東京発→門司港着のフェリーに荷物を残したまま不明に。
沖田徳喜 平成15(2003)年・海運業
【陸上】大阪鉄鋼埠頭に入港後。
小山修司 平成16(2004)年・漁業
【海上】新潟県沖合に漁に出かけたまま不明。船は発見される。
Q(男) 昭和41(1966)年8月11日・船員
【陸上】大阪港に入港して以降行方不明。
R(男) 平成17(2005)年・航海士
【海上】LNG船で船室に向かう姿を見かけられたのが最後。

拉致の可能性という観点から見た場合、
1.船舶や機器の獲得(船ごとの失踪)
2.操船技術の獲得
3.その他…拉致のしやすさ、偽装(事故や自殺)など、
が考えられる。
―引用終わり―

兄・清文は、失踪の前日に東海汽船の客船で神津島へ渡りました。

改めて、オメガの名曲を思い出します。
「いつか無くしたもの そして手にしたもの 海だけが知っているよ・・・」

05.6.3の記事→http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/4101901.html
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2007年01月24日

マッピングリスト10

23日の調査会定例会見で、新たなマッピングリストの発表がありましたので、ご紹介いたします。

マッピング・リスト10  学歴の共通する失踪(敬称略)

失踪者の学歴の一致は、15件、延べ40人に上る。特定失踪者の一割の学歴が一致するのは不自然である。失踪になんらかの人為的な働きがあったものと考えられる。
特に、およそ5年、10年の単位での失踪時期の違いが見られるのは不自然である。
もしこの一致が拉致に関係するとすれば、学校関係者の中、あるいは学校の所在する地域に工作員・協力者がいたことを示すことになる。

<ケース1>
★金田龍光    1978または1979  (失踪年月日、以下同じ)
★田中実     1978
 松本義明    1979.9.20
   同じ小学校、中学校を卒業

<ケース2>
★松本京子     1977.10.21
 矢倉富康     1988.8.2
   同じ中学校を卒業

<ケース3>
 本多茂樹     1980.5.21
 A         1980.9.14
   同じ中学校を卒業

<ケース4>
 尾崎隆生    1960.11.3
 B        1978.2.2
   同じ中学校を卒業

<ケース5>
★前上昌輝    1977.9.22
 C        1996.4.5
   同じ中学校を卒業
   失踪日が、ほぼ20年の違い

<ケース6>
 D        1969.12.12
 下地才喜    1985.4.
   同じ中学校、高校を卒業
   失踪日が、ほぼ15年の違い。

<ケース7>
 鈴木賢      1972.5.28
 小野寺将人    1991.7.19
   同じ高校を卒業
   失踪日が、ほぼ20年の違い。

<ケース8>
 三上慎一郎   1983.11.20
 石坂孝     1988.11.20 
   同じ高校(三上慎一郎は現役)
   失踪日が5年違いで同じ日(11月20日)。
   石坂孝については、下記のIと同じ大学の薬学部を卒業している。(後述)

<ケース9>
 E        1986.9.14
 F        1996.8.22
   同じ高校を卒業
   失踪日が10年違いで、9月と8月に失踪。

<ケース10>
 上田英司     1969.11.4
 G         1973-1974  
 H   1997.11.28
   同じ高校を卒業。
   上田とGはほぼ5年間の違い。

<ケース11>
 新木章      1977.5.21
 田口八重子    1978.6
   同じ高校を卒業。

<ケース12>
 古川了子     1973.7.7
 遠山常子     1974.7.11
 関谷俊子     1974.7.11
   同じ高校(古川了子は全日制卒、他の2人は定時制在学中)

<ケース13>
 馬場昌一     1964.6.4
 高見到      2003.10.5
   同じ高校を卒業

<ケース14>
 I        1968.9.21
 石坂孝      1988.11.20
   同じ大学の薬学部を卒業
   失踪日が、20年の違い。

<ケース15>
※渡辺晃佐     1952
※酒井秀俊     1974.1.16
※尾方晃      1979.2.14
 広田公一     1984.7.21
 J        1984.10.24
※K        1987.2.14
 L        1992
 M         1998.11.24
同じ大学。※印は在学生、他は卒業生。ほとんどが経済学部。
酒井からJまで失踪日が、ほぼ5年間の違い。
尾方とKは同じ日付で失踪。
*他大学で失踪者の学歴が一致するケースが複数存在するが、ここでは失踪者の数が顕著な大学を掲載した。

★:1000番台リストないし政府認定者

皆さんが工作員だとしたら、このリストの中に、何を見出しますか?
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2006年12月25日

マッピング・リスト9

先週調査会から、マッピングリストの追加がありました。私は兄が失踪している事で拉致事件に取り組んでいますが、現在36歳になる事を考えると、同世代の方で拉致の可能性がある人がいる事に、驚愕してしまいます。

これだけ多くの失踪例があると、誰か一人ぐらいは自分に重なる人がいるのではないでしょうか?皆さんも自分が拉致されたら・・・という恐怖を、もう一度心に問いかけてみて欲しいと思います。


マッピング・リスト9
1980年代中盤、90年代初めの若い女性の失踪(敬称略)


A       昭和58(1983)年9月    北陸地方   18歳
井尻恵子  昭和59(1984)年3月16日 京都府京都市 23歳
B       昭和59(1984)年4月    北陸地方   20歳
山本美保  昭和59(1984)年6月4日  山梨県甲府市 20歳
今津淳子  昭和60(1985)年4月30日 埼玉県深谷市 27歳
C       昭和60(1985)年9月    北海道    23歳
林かな子  昭和60(1985)年11月22日東京都大田区 25歳
秋田美輪  昭和60(1985)年12月4日 兵庫県神戸市 21歳
D       昭和61(1986)年1月    関東地方   21歳
E       昭和62(1987)年2月    関西地方   23歳
尾上民公乃 昭和62(1987)年6月6日  大阪府大阪市 20歳
F       昭和62(1987)年6月    関東地方   15歳
西村京子  昭和62(1987)年12月26日山口県山口市 25歳
河田君江  平成2(1990)年2月7日  山口県豊浦町 23歳
清水桂子  平成2(1990)年12月13日岡山県井原市 22歳
大政由美  平成3(1991)年3月28日 韓国慶州市  23歳
佐々木悦子 平成3(1991)年4月22日 埼玉県浦和市 27歳
森本規容子 平成3(1991)年9月22日 兵庫県西宮市 18歳
福山ちあき 平成3(1991)年11月3日 大阪府大阪市 18歳
松橋恵美子 平成4(1992)年1月15日 秋田県能代市ないし合川町 26歳

※若い女性の失踪はこの前後もあるので、どこで区切るのかは難しい。ただ、西村京子から河田君江の間は調査会のリストではブランクになっている。

以上の中で失踪状況が似ているケースは次の通り
◎山本美保・秋田美輪さん(失踪時の状況・遺留品)
◎河田君江・清水桂子・松橋恵美子(失踪時の状況・遺留品としての自家用車の放置状況)
◎森本規容子・福山ちあき(失踪時期と本人の状況)


年末年始、大町ルートを使い帰省するKONAより・・・。あなたの周辺に工作員・工作を補助している人は、いませんか?知らずに手伝っていませんか?

お互い気を付けましょう・・・。


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2006年11月27日

マッピングリスト1・2

マッピングリストをカテゴリー化しました。そして、リスト1・2の記載を忘れていた事に気が付いたので、急遽記載いたします。

マッピングリスト1(目撃証言)
安明進 → 加藤久美子・古川了子・藤田進
(上田英司・松本賢一・山田建治に似た人物も目撃しているが、目撃時の記憶と失踪者本人の年齢や身長等のデータに違いがあり、同一人物であるとの自信はないとのこと。なお、安明進は政府認定者のうち横田めぐみ・田中実・蓮池薫・市川修一・増元るみ子と、政府認定者ではないが、拉致されて北朝鮮に住む寺越武志を目撃している)
呉吉男 → 生島孝子
(呉吉男は政府認定者のうち石岡亨を目撃している)
権革 → 徳永陽一郎・斉藤裕・大屋敷正行・松本賢一・生島孝子・国広富子・山本美保・佐々木悦子
(権革はこの他に伝聞情報で園田敏子の可能性のある女性の情報を明らかにしている)
金国石 → 松本京子・斉藤裕
金聖愛 → 国広富子・古都瑞子
A → 日高信夫
B → 坂本とし子
C → 園田一・園田敏子
D → 安達俊之
E → 加瀬テル子・布施範行
その他 男性3人、女性1人(ゼロ番台リストですでに名前は公開されているが、事情により誰なのかについては公表できない)についての目撃情報と、木村かほるの可能性のある伝聞情報が存在する。

マッピングリスト2(朝鮮半島での失踪者)
大政由美
中村三奈子

韓国は、よど号グループではないでしょうが、欧州拉致の有本さん、石岡さん、松木さんに状況が重ねてしまいます。モンゴルに行くと言って、よど号の妻にされてしまった、福留さんを含めてみると、<ヨーロッパや中国に観光で行って、行方不明になる内容のチェーンメールで流行った都市伝説>が、実は拉致を示唆していたのかも・・・。数年前まで、韓国や北朝鮮はわからない国、中国の一部のような感覚だった事から、もらったメールに付いていた内容にぞっとした事を思い出しつつ、そして今もう一度、都市伝説が生まれた背景に、巻き込まれているかもしれない事に気が付き、背筋が凍ります。

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2006年11月14日

マッピングリスト 8

松本京子さんの拉致認定が、内定しているようですし、古川さんの裁判において、裁判所から、和解案が持ちかけられているなど、調査会関連の動きが多い中、11/6にマッピングリスト8が発表されました。

マッピング・リスト8 失踪前後に、不審な電話が家族にあったケース

今井裕 昭和44(1869)年 「2〜3日以内に裕を返す」という平成5年10月2日 午前9時半ごろの電話
前上昌輝 昭和52(1977)年 「前上昌輝の家のものか」という男性からの電話仲里次弘 昭和52(1977)年 「ちゅうさんと呼ばれている日本人が北朝鮮にいる」という男性からの電話
布施範行 昭和53(1978)年 「範行さんいませんか」と標準語での女性からの電話
安達俊之 昭和56(1981)年 「トシユキつかまっているよ」という子供のような声の電話
河嶋功一 昭和57(1982)年 「これから北朝鮮に行く」という友人宛の本人からの電話
山本美保 昭和59(1984)年 すすり泣くような無言電話
山下貢 平成元(1989)年 「ごめんな」とだけ伝えた男性からの電話
佐藤順子 平成12(2000)年 日本語とは思えない話し声での会話

※ 失踪後に家族のもとへ不審な電話や無言電話がある事例は多数あるが、ここで掲載したのは拉致との関係が疑われる電話があったもの。
以上調査会ニュースより

拉致の疑いのある失踪者家族の元へ、不審な電話がある例が散見される事は、以前から言われてきました。KONAの家族の元へ無言電話など、目立った不審電話は覚えがないのですが、一般的な無言電話の中に、関連するものがまぎれていなかっただろうかと、今になって考えてしまいます。
KONAが小学校に上がる前に起こった兄の失踪であり、小学生ぐらいから電話を取り次いでいたのですが、幼い頃は、無言電話の意味が理解できていなかったかも知れません。

また、兄失踪から、母方のおばあちゃんが病死、母の兄である伯父さんが事故死するなど、不幸が続いたので、そこに意識が向かなかったかも知れません。

話はそれますが、兄失踪の翌年、膠原病で亡くなったお祖母ちゃん、最後は、末娘の母と、その長男の兄の名前を、うわごとのように言いながら息を引き取ったと言います。
拉致だったとしたら、自分が居たことのある国に連れて行かれた孫を、お祖父ちゃんと一緒に見守っていてくれると思います

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2006年10月18日

マッピング・リスト7

15日、横浜市瀬谷の集会に、参加いただきました皆さん、ありがとうございました。
今回は、「調査会」や「しおかぜ」の為のカンパ箱は設置しなかったのですが、横田御夫妻が、受け取られたカンパを、「今日は特定失踪者のご家族の皆さんもいらっしゃるので、半分は調査会にお渡ししたいのですが宜しいでしょうか?」と参加者の皆さんに呼びかけていただき、皆さんのカンパを調査会と家族会で活用させていただく事となったのには、とても感動しましたし、参加者の皆さん、開催スタッフ皆さん、そして横田御夫妻に、感謝の気持ちでいっぱいです。
この日KONAも壇上で、発言の機会を頂いたのですが、前日大泣きして、また持病の咽頭炎で、微熱鼻声での発言となりました。
なぜかと言えば、13日に調査会では、印刷関係の失踪者である、日高信夫さんを35人目の拉致濃厚者として、1000番台リストに載せました。
同じ会見で、マッピング・リスト7が発表になりました。
その内容について、KONAの所に調査会メールが届いたのが、14日午前でした。
丁度TVで、元核開発工場の副工場長だったという脱北者の話を見たばかりでした。

北朝鮮の核開発現場では、「核の放射能は、紙一枚で防げるもので、健康上の何の心配も無いという、ウソの教育をされ、布製の防護服で作業を行い、次第に髪が抜け、歯茎から血が出ても、放射能によるものだとは、思わなかった。」と言う証言でした。
確かにこれまでも、北朝鮮の原子力発電所の映像として出てくるものは、日本の厳重な重苦しい防護服とは違い、質素な布の、蜂から身を守る程度の防護服にしか、見えなかった事を思い出しました。
さらに、同じようにチェルノブイリ原発事故の時の、兵士の防護服が大げさな防弾チョッキ程度で、その映像に映っている兵士が、誰一人生き残っていないであろう事を、報道番組で見た事も思い出しました。

その直後に、マッピング・リスト7に、兄・清文の名前が出ているのを見て、「こんな環境で働かされていたら、どうしよう。健康を害しているのではないだろうか?」と悲しくなってしまったのでした。

マッピング・リスト7 原子力発電・核兵器・ミサイル開発に関係する技術者の失踪
山下平  1960年 金属加工業
A(女性)  1964年 電力会社勤務
佐藤益一 1970年 日立製作所
荒谷敏生 1974年 北陸建工勤務、日本高周波に勤務
三浦和彦 1974年 松下電器(ラジオ組み立て) アベックでの失踪
高野清文 1976年 電通大学学生(材料学の研究)
B      1976年 鋳型工場勤務
C      1978年 化学会社勤務
D      1979年 川崎航空機に勤務
中島裕夫 1980年 化学の専門化(製粉技術)  アベックでの失踪
横山辰夫 1981年 溶接工
河嶋功一 1982年 ロボットアームの研究
伊原照治 1984年 城口研究所勤務、配管工
亀谷博昭 1986年 精工電機 精密機器組み立て 
矢倉富康 1988年 マシニングセンター技術者(失踪当時は漁師)ミサイル部品製作に必要な精密機械制御の技術者
石坂孝  1988年 厚生省技官(毒性物質の検査技師)
矢島克己 1989年 埼玉大学大学院(電気物理学の研究)
E      1991年 電気技術者
F      1995年 原発関係の技術者
安西正博 1996年 荏原製作所(ポンプ)の営業
* このリストは、原子力・核・ミサイルに関連する技術や知識を持っている失踪者をまとめたものであり、河嶋功一さんを除いて、現段階で拉致の可能性が濃厚という判断に立っているものではありません。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061014-00000000-san-soci

材料学の研究といっても、材料学科で、2年生半ば、まだゼミにも入っておらず、光ファイバー勉強がしたかったようでした。電気通信で材料と言うと、『マッピング・リスト4 電話関係者の失踪』に、より可能性を感じる部分もあるのですが・・・。

もし、兄や、兄でなくても必ず日本人拉致被害者の知識・技術が利用されているであろう、北朝鮮の核爆弾が、日本や、他の国に被害をもたらしたら・・・、皆さんはどう考えますか?
そしてその日本人が、あなたの家族だったとしたら・・・。
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2006年10月11日

マッピングリスト3−6

調査会から追加でマッピングリストが発表されました。

マッピング・リスト3 医療関係者の失踪
A       昭和34(1959)年  看護婦希望?(福岡)
安達恵美子 昭和34(1959)年 看護婦(京都)
木村かほる 昭和35(1960)年 看護婦(秋田)
正木洌子  昭和36(1961)年 病院事務(徳島)
B       昭和38(1963)年 医師(北海道)
C       昭和43(1968)年  薬剤師(愛知)
長谷川文子 昭和44(1969)年 看護婦(北海道)
山下綾子  昭和46(1971)年 看護婦(愛媛)
国広富子  昭和51(1976)年 看護婦(山口)
曽我ひとみ 昭和53(1978)年 看護学校生(新潟)
D       昭和54(1979)年 看護婦(山梨)
E       昭和55(1980)年 薬剤師(兵庫)
上田俊二  昭和56(1981)年 医学専門書店勤務(東京)
鈴木清江  昭和57(1982)年 耳鼻科病院事務員(静岡)
山本美保  昭和59(1984)年 看護学校中退(山梨)
加藤悦子  平成元(1989)年 准看護婦(愛知)
保泉泰子  平成3(1991)年  看護婦(愛知)
松井綾子  平成10(1998)年  レントゲン技師(茨城)
永島康浩  平成14(2002)年  准看護士(栃木)
※女性看護師の拉致は明らかに「看護婦」を狙ったものと思われるのであえてそう記載した。

マッピング・リスト4 電話関係者の失踪
A       昭和44(1969)年 電電公社職員(大阪・アベック)
加藤久美子 昭和45(1970)年 電電公社の交換手の資格(福岡)
生島孝子  昭和47(1972)年 電話交換手(東京)
峰島英雄  昭和49(1974)年 電話工事(千葉・女性二人と失踪)
市川修一  昭和53(1978)年 電電公社職員(鹿児島・アベック)
加藤八重子 昭和53(1978)年 電電公職員・電話交換手(群馬・同僚も失踪)
本多茂樹  昭和55(1980)年 電話関係の仕事(北海道)
B       昭和58(1983)年 電電公社職員・電話交換機の保守(愛知ないし岐阜)

マッピング・リスト5 アベック・夫婦の失踪
中塚節子・A(未登録) 昭和38(1963)年(東京・同じ会社の男性と)
B・C           昭和44(1969)年 (大阪・男性は電電公社職員)
園田一・敏子      昭和46(1971)年  (鹿児島・夫婦)
山口浩一・D       昭和48(1973)年 (青森)
遠山文子・E       昭和48(1973)年 (石川)
三浦和彦・波多野幸子  昭和49(1974)年 (福岡)
※峰島英雄・関谷俊子・遠山常子 昭和49(1974)年(千葉)
申相玉・崔銀姫     昭和53(1978)年 (香港・別々に拉致)
地村保志・浜本富貴恵  昭和53(1978)年 (福井)
蓮池薫・奥土祐木子   昭和53(1978)年 (新潟)
市川修一・増元るみ子  昭和53(1978)年 (鹿児島)
F・G(未遂)       昭和53(1978)年 (富山)
安達俊之・H       昭和56(1981)年 (石川)

マッピング・リスト6 印刷関係者の失踪
中村健一 昭和33(1958)年 青写真技術者(長崎)
中塚節子 昭和38(1963)年 印刷会社勤務(東京・同じ会社の男性と)
小林栄  昭和41(1966)年 オフセット技術者(東京)
日高信夫 昭和42(1967)年 印刷工(東京)
A      昭和42(1967)年 印刷会社営業職(兵庫)
早坂勝男 昭和43(1968)年 オフセット技術者(東京)
横田道人 昭和45(1970)年 脱硫技術研究者(群馬)
B      昭和48(1973)年 印刷工(東京)
江藤健一 昭和48(1973)年 写真印刷技術者(千葉)
C      平成9(1997)年 印刷会社勤務(北海道)

コナボ考察
<医療関係者の失踪>医療関係機関に、工作活動拠点があったことは、西新井事件で明確になっています。その知識を麻薬開発に利用されている人もいるかも・・・。

<電話関係者の失踪>電話関係機関にも、工作拠点?情報の傍受工作と言う点では、知識経験の利用価値あり、失踪者家族宅に無言電話が多いのも、この傾向のせい?兄・清文は、電気通信大学生ですから、このリストにも近いかもしれません。

<アベック・夫婦の失踪>工作員として定着させやすいため?日本人化教育の先生や、翻訳情報に従事させられる傾向があるのでは?
兄・清文も、数日前に失踪した女性、松下さんとワンセットとすれば、ここに入るのかも?

<印刷関係者の失踪>後存知、偽札製造に従事させられている可能性大。アメリカ人にも、ドル造幣関係者の失踪があるとか無いとか・・・。

あなた自身に不審人物の接触があったなど、身に憶えや、あなたの知人から、変な事があった話しなど聞いた憶えはありませんか?放っておいたから大変な事になっていますよ・・・。

情報をお持ちの方は調査会までご連絡下さい。

特定失踪者問題調査会Tel 03-5684-5058 Fax 03-5684-5059
email:chosakai@circus.ocn.ne.jp
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2006年09月07日

マッピングリスト

調査会では、「マッピングリスト」なるものの発表をし、これまで以上の情報提供をお願いしています。

「マッピングリスト」とは
拉致被害者・拉致の疑いのある失踪者の特徴を、「目撃証言のある失踪者」「朝鮮半島での失踪者」のようにカテゴリー別に整理、公表用にまとめたものです。
今後も
職業別の失踪:例「看護師の失踪」
地域別の失踪:例「埼玉県川口市周辺での失踪」
状況別の失踪:例「アベック・夫婦での失踪」「1980年代中盤の若い女性の失踪」
また、「政府認定者でもなく、調査会のリストにも載っていないが目撃証言や様々な情報のあるケース」
など、順次発表していきますが、毎月の定例記者会見のときだけでは間に合わないので、出来るだけ早くまとめ、可能なものから順次臨時の記者会見を開催して発表する、とのことです。
こういった情報を少しでも提供し、これを機会として政府・議会関係者はもちろん、報道関係者、一般国民に至るまで協力をお願いし、また、拉致問題の全体像を知っていただく一助となることを期待する、といった目的なのです。

つい最近も、拉致の可能性のある、印刷関係の失踪者に、目撃証言が出ました。
もともと、印刷関係の失踪者が、ある期間に集中している事は、金政権による偽札の発覚と、時間的リンクがとても深く、これから、マッピングリストの筆頭になっていく事案と思います。

こういった情報や、傾向から、
周辺地域で妙な内容で声を掛けられたなど、本人が拉致工作と気が付かなかった、未遂の拉致工作に心当たりある方や、頼まれた事ではあるが、もしかしたら、拉致の手助けをしてしまったかもしれないと思う方は、是非情報をお寄せいただければと思います。
特定失踪者問題調査会Tel 03-5684-5058 Fax 03-5684-5059 email:chosakai@circus.ocn.ne.jp

兄・清文の入る「マッピングリスト」とはどんな例があるのでしょうか?
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