2014年07月31日

思い出すのは38年前の、父の叫び

38年前の今日、父が震える声で、
「何〜?」と受話器に言っていたのを、今でも忘れられません。

昨日は、兄・清文の失踪から38年目の日でした。
今朝もう一人の真ん中の兄からメールが来ましたが、
奇しくも
「今でも父が電話を取った時のことを時々思い出します。」と。

38年も前の事なのに、兄弟して同じ事が忘れられずに居るんだと・・・

きっと清文兄も、こちらの兄弟の事・両親の事、思い出しているだろうな・・・と
思えた出来事でした。

今月に入り、北朝鮮による「拉致再調査」が始まり、
KONAにも、データベースとしての取材などが幾つかありました。

満を持して、
兄の、多くの拉致被害者の帰国・帰宅を願わずにはいられません。

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2013年10月31日

ごめんね兄貴…57歳の誕生日

今年もハロウィン…そして兄の57歳の誕生日になりました。

日常は日々嵐と共に過ぎて行き、自分の予感していた再会時期も過ぎて少々疲れて来たのですが、生きていればそんな事も言えずに兄は過ごしている事でしょう。

日本に居てただ心配していたって、心を痛めて様々な病気を発症して行くのに、栄養状況の良い所に居る保証も無い、拉致被害者たちの健康状況も心配でなりません。

東京都神津島で行方不明になった兄、警視庁のHPでも掲載がされています。
「北朝鮮による拉致の可能性を排除できない行方不明者」
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/jiken/rati/rati_list.htm

7/30に紹介した長野県警HPが移動しています。
http://www.pref.nagano.lg.jp/police/anshin/koan/abduction.html

日常に流されても、家族として待っている事はこの37年間変わりません。
いつも書く事に変化が無いのですが、生きているなら…両親の元気なうちに再会させてあげたいです。
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2013年07月30日

37年目の7/30…長野で胸騒ぎの地震?

また、一年が経ってしましました。
夏のイベントにウキウキしていると、必ずこの日がやって来ます。
兄の行方が解らなくなって37年が経ちました。
思いだすように、13:02松本で地震が有りました。

ようやく昨日より、長野県警HPに兄の記載がされるようになりました。
http://www.pref.nagano.lg.jp/police/keibi/abduction/abduction.htm

色んな活動を通して、国に警察に訴えを手伝ってくれた勇士の皆さんのおかげでもあります。

先ほど父に聞いたら、警察で全国統括版の掲載も有るそうで、今度許可承認を取りに県警が訪問するとの事でした。

今年こそは!!と思っている年です。後2ヶ月で兄に会える予感の期間が過ぎてしまいます。
先日、仮面ライダーの俳優さんの握手会で500名以上は居たと思う中、10枚しか無いのサイン入り写真を引き当てました…
昨年、KONAの大切なミュージシャンのデビュー20周年ライブでは、一列目で観賞する事が出来ました…
でも兄については、やはり現実は予感の様には行かないのでしょうか?

父は白内障の手術を7月の頭にしましたが、一般的に日帰りで済む手術を、80歳を超えると角膜も弾力性が無くなるため、2泊3日の入院手術だったようです。
拉致を疑ってから、そんなに年を取るまで再会させられないなんて、どうしても悔しい気持ちになってしまいます。

だんだん思うように体の動かせなくなる両親。
どうか、両親の本人の元気な内に、何とかして再開させたいそんな気持ちばかりが何年も積み重なっています。
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2012年10月31日

職場や社会では、兄と同年代の皆さんが活躍中です。

今日はハロウィン、そして…兄・清文の56歳の誕生日です。

KONAの職場では…年金のもらい方についての会話が飛び交っています。
と言うのも、部長・次長・工場長(電気通信大学OB)・先輩女性2名…皆さん55〜57歳ぐらいなんですね。

兄も日本で就職し、本分を発揮していたならば、きっとこんな風に今の日本社会や、経済を支えてきたのだろうな…っと姿を重ねてしいます。

そう考えると、日本人の生命の危機や、人権侵害、国防(土地と人を守るって意味で)ばかりで無く、国の経済やシステムにおいても、被害者の数の半端無さから、かなりの損害・経済損失になっているのではないかとも思います。


さて、兄の誕生日を期して、本日は長野朝日放送さんが、夕刻18:15〜18:55のabnステーション内で、北朝鮮が拉致を認めてから10年の報道をしてくれるとの事です。

10/28に、兄の本土最後の地になった、東京竹芝桟橋で取材を受けました。
丁度大島からの定期便の高速ジェット船が帰って来た時間だったんですが、大型船だと行きは夜行便で片道12時間・帰りは8時間30分かけていた航路も、高速ジェット船なら、片道3時間45分で、『東京都の神秘と絶景のの宝島』に訪問できます。

高速ジェット船就航からも丁度10年と、10年前北朝鮮が拉致を認めた頃から、高速ジェット船時代が始まった因果を感じてみたり…
下船する乗客をみて、兄もこうやって無事にこの地に降り立つはずだったのに…などと思っていました。

前回のNBSさん同様、ABNさんも長野県内の放送の為、全国の皆様にご覧頂くのは厳しいと思いますが、知人に長野県在住の方がいらっしゃいましたら、お知らせ頂けたら幸いです。

今回も私自身は、東京在住の為、リアルタイムでの視聴はできませんので、皆様がどのような感想をお持ちになるのか…感想などコメント頂けると幸いです。
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2012年10月04日

TVにて放送があります。(長野県のみ)

9/22に埼玉県の集会にて、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120923-00000301-saitama-l11

北朝鮮が拉致を認めてから10年の家族の思いについて、NBS長野放送の取材を受けました。

今日10月4日、NBSスーパーニュース(18:45〜19:00)の中でその模様が放送されるとの事です。

長野県内の放送の為の皆様にご覧頂くのは厳しいと思いますが、知人に長野県在住の方がいらっしゃいましたら、お知らせ頂けたら幸いです。

ちなみに私自身は、東京在住の為、リアルタイムでの視聴はできません。
皆様がどのような感想をお持ちになるのかも気になります…
posted by KONA at 11:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月28日

26年前の予感

本日2012/9/28にKONAは42歳を迎えました。
深夜の1:35と記録されている、出生時間、14歳の兄:清文は歳の離れた妹をどんな思いで迎えたのでしょう…

今年の誕生日には特別な思いがあります。
兄の失踪から7年が経った頃、行方も手掛かりも一向に見つからない両親は、気持ちを切り替えるために『失踪宣告』で兄の籍を除籍し、お墓を作り、神式のお葬式もしました。
神の島・神津島から失踪した想いもあったようです。
KONAが中学生の時で、制服を着て参加しました。

何回かお墓参りに行く中、16歳の時にお墓の前で違和感を感じる中、漠然と「42歳になれば兄に再会できる。」との予感がしました。

それからは両親にその予感を伝え、どうかその歳まで、元気に暮らして欲しいと言い続けました。

10年前に北朝鮮による拉致が明らかになり、荒木さんによって『特定失踪者問題調査会』が出来た時にも、「後10年かかると思います。」と話して「そんな事言わないで2−3年で解決しましょうよ。」と言われた事がありました。

KONAもかなうのであれば、一分一秒でも早く元気な両親と元気な兄を再会させたいと願って来ましたが、本当に42歳まで再会する事無く来てしまい、金正日の死亡まで超えてしまうとは思いもしませんでしたが…

そんな訳で、講演会等でも話していますが、今年がいよいよその年だと思っています。
元々激変が予想されていた2012年、注意深く国内・国際情勢を見つめて、ひき続き出来る事をして、兄の真実を探したいと思います。

皆さんの民意の助けを、今後もよろしくお願い致します。
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2011年10月31日

兄清文・55歳の誕生日

今日10/31は兄・清文の55歳の誕生日です。

非常に個人的ではありますが、兄の失踪日、7/30のブログを書いてから、KONA自身にいろんな事がありました。

脚がつった話は書きましたが、それを機会に糖尿病を疑い病院に行った所、見事に糖尿病と言われました。
薬を飲んで調整するほ程ではないとの事で、脚がつるくらいで教えてくれた自分の体に感謝しつつ、無意識に食べる余計な食品を控え、食事療法?で2か月半が過ぎ、体重も10Kg以上落とす事が出来ました。

その間に、心の拠り所としている以前にも紹介した事のある、ミュージシャンの一組access
http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/12837043.html
の関係の友人が沢山出来、その前にもアニメ特撮関係の素敵な友人が増え、音楽や歌う事でメンタルサポートが出来始めて来ました。

中でも強烈に不思議な出来事がありました。
パーティスペースで行われた、カラオケで、スーツの襟もとに調査会の短波放送『しおかぜ』支援の為のネックストラップらしき物を付けている方が居ました。
その時は盛り上がっていたので、後で確認したら、私が良く拉致解決の為の集会に参加している、埼玉の救う会関係の集会などで、以前ボランティアをされていた方で、面識ある方だったのです。
今後とも、拉致関係でのご協力、音楽関係で仲良くしてもらう事をお願いして、交流をしています。

また、ソーシャルネットワークサービスでは、数名のプロミュージシャンの方に仲良くさせて頂いていますが、今年の3/11の震災をきっかけに、復興や励ましの音楽を作られる方も多く、聞く度に私は拉致事件の現状に重ねて、悔しくなったり悲しくなったりしています。

本人にお話しできる機会もあり、その度に言葉で、音楽で励まされて、本当に音楽の力ってすごいと、重ね〃思う日々です。
プロ・アマ・カラオケ仲間の皆さん、今後とも共に歌い・奏でて頂ける事を改めてお願いいたします。

以前、超能力のあると言う方に、
「兄はこんなに太っていると、思っていない。」
http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/12643569.html
と言われた時に、42歳で再会できる(予感)時には太ってないぞ!!と思えた事、病気にはなりましたが、やっと現実に出来そうです。

こんな時代だからこそ、一気に動きそうな気もします。約2年の間に・・・。
posted by KONA at 15:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月30日

35年目の7月30日

また今年も、兄・清文の失踪した7月30日がやって来ました。
このブログの更新も、兄の失踪日7月30日と、兄の誕生日10月31日になっていますが、今年は歴史的大震災があったり、連動してか、松本でも大き目の地震が起きたり。
それをきっかけに思うところもあり、いくつかのお話は、機会があれば、別に書きたいと思います。

今朝母から、電話がありました。もちろん兄失踪から35年の日だったからですが・・・。
私が、先週金曜、右足に包丁を落としたり、その時傷をかばって変な歩き方をしていたせいか、昨晩、大腿部の筋肉が、内外両方攣ってしまい、左ももが済んだら、右ももにと、痛さで大騒ぎした話をして、心配させてしまいました。

でも怪我や病気も様子が解るだけで、双方安心なのだと思います。
今はただ、兄に無事で生きていて欲しい、両親の元気なうちに再会させたいと願うばかりです。

考えてみれば、今の私の年齢の頃に、両親は兄を行方不明にしているのだと。
私が同じ状況なら、どうしただろうと。

そして先程まで、週一で伺っている夫の実家に行っていました。
今日は兄が行方不明になった日だと話していたら、夫の妹さんの誕生日だと判明。
その妹さん今日で32歳。
お兄ちゃんの失踪から三年後に生まれた訳で・・・後々の指針になりそうです。
その妹さん今では二男児の母で、兄・清文に孫が居てもおかしくないだけの時間が経ったのだと実感しました。

高野家の父母からしたら、ひ孫になるわけで、そんな人生も有ったかも知れない両親を思うと切ないです。
posted by KONA at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月31日

トリックorオッパ


10月23日の都庁前広場の集会には、沢山の参加、ご協力、お心を寄せていただきありがとうございました。

10月31日兄の誕生日・今日で54歳です。
19歳で拉致されたとすると、35年になるところです。

早くハッピーと言えるハロウィンを迎えられるようになりたい。

金政権に、「トリックorオッパ」と言いたい所です。
posted by KONA at 23:18| Comment(1) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月30日

今年も7/30がまいりました。

皆様ご無沙汰しております。
今年も7/30がまいりました。
兄が消えてから34年になります。
私は後2年2ヶ月後から3年3ヵ月の間に、兄と再会できるのでは・・・と思っています。
その為に今動くのが大切なのか、その時まで力を温存しておくべきなのか、選択に悩んでいる所です。

家族の近況をお知らせしますと、父は今年のお正月77歳になり、満で喜寿となりました。
天然の蔓や松ぼっくりなどで、リースを作っていたところから、アイディアで、松ぼっくりなどを組み合わせて、ミニクリスマスツリーやミニ松飾り、諏訪の御柱風飾りを作って、プレゼントしてくれました。
ただ寄る歳に、体調の優れない日も増え、かなり耳が遠くなり、電話で話すのにも不便な感じになってきました。

母は、昨年の脳血栓になった後、治療のお陰か、交通事故の後遺症も多少緩和され、気持ちも元気になったのか、編み物を再開しています。母にとっては編み物が一番気の安らぐ事のようで、体調を見ながら、時にちょっぴり無理をしながら、コツコツと編み進めています。

母の作品を調査会の寄付とするため、レンタルBOXにてネット販売もされていますので、宜しければご利用下さい。
http://kei-collection.co.jp/max_c/html/AA00_Blue_wish2.htm

日記の話が前後しますが、昨年のお盆に、両親の祖父母のお墓参りをした事を記しましたが、それがきっかけで、母が自分の先祖を尋ねたいと言い出し、便乗して父の兄弟が集まる事になり、9月に土湯温泉に一泊したそうです。
集まろうと言い出してくれたのは、父方の本家に嫁いだ伯母でした。
昨年お盆に祖父母の仏壇を拝みに伺った時に、17年ぶりぐらいに再会したのですが、つまみに枝豆を豪快に分けてくれました。「また数年のうちに伺いますね」と言って分かれたのですが・・・先日他界いたしました。

兄・清文にとっても、甥っ子がどうなったか解らないまま、伯母が亡くなった事になります。

金元工作員が来日し、特定失踪者に中の人で、見たことがあるかも知れない人がいる話を、飯塚耕一郎さんが口にされた時、拉致被害者に、曾我ひとみさんが居たときの衝撃と、似たようなものを感じました。

今日は、10/23に都庁広場で行なわれる、特定失踪者家族の集会のディスカッションが行なわれます。
特別な今日こそ参加したかったのですが、所用で参加できないのが残念です。
兄が消えた日、これからどうなるのか、どう動かしたら良いのか、更に思案の時が来ているようです。

私のスケジュールは日々たて込んでいて、ゲームのように面白く時間が過ぎて行きますが、北朝鮮に拉致された人々は、同じ時間をどうやって過ごして来たのでしょうか?
そしてその中に兄・清文は無事過ごしているのでしょうか?
posted by KONA at 16:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月31日

兄の誕生日は、ハロウィンだった。

今日、兄清文は、53歳の誕生日を迎えました。
今年まで全く意識していなかったのですが、10/31は、兄の誕生日と同時に、ハロウィンだったのですね。
私の趣味でもあるディズニーランドでは、十年ほど前から、ハロウィンをイベントととして、当初は1ヶ月程度、今では約2ヶ月間開催し、そのお陰で、秋になると妙に悲しくなる私の心は、秋を楽しく過ごせるようになりました。

宇宙から、夜に入った極東アジアを衛星写真で見ると、日本は海岸線が解るようにくっきりと明かりが灯るのに対し、北朝鮮は電力不足と設備不足の為か、黒く塗りつぶされたようになっているのを、何かのCMや雑誌で見たことがあると思います。
日の暮れるのがすっかり早くなるこの時期、そしてこれから厳冬を迎える北朝鮮で、拉致被害者は、長い夜に何を考え思っているのでしょう・・・。

さて、皆様にご心配をお掛けしました母ですが、皆さんの励ましと、最新薬である、血栓を溶かす静脈点滴が効いたようで、兄の誕生日前の29日に、無事退院する事ができました。
元凶である脳内部の動脈硬化の跡も今となっては不明となり、先生も驚いているそうですが、何時同じ事が起きてもおかしくないとも言えます。

経過観察となりますが、今後も、兄と再会できるよう、励まし、精神的に支えて頂ける様に、皆さまにお願いいたします。

母が無事だった、それが兄へのプレゼントかも知れません。
posted by KONA at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月19日

実母3度目の九死に一生

昨日夕刻、真ん中の兄から連絡があり、母が緊急入院しました。
元々頭痛もち(兄失踪のストレス性?)の母ですが、右後頭部の頭痛と、左手の痺れを感じ、急いで病院へ行ったそうです。
通常のCTでは異常が無く、MRIで軽度の脳梗塞の疑いが出たようです。
血栓を溶かす点滴は、昨晩から治療を開始し、今日は精密検査。
像血剤を使ったCT検査で、血栓の元となった、動脈硬化の状況を見るようです。
脳梗塞と言うと、発見時に死亡や、倒れてから、甚大な障害を残す状況を耳にするので、良く自分で気が付いて疑い、病院へ行ったと、驚くばかりです。
まだ詳しく解からないので、これから悪化するかも知れませんし、痺れが取れない可能性もあります。
大好きな母に、兄と元気で再会してもらいたいKONAは、とても心配です。

6年前の2003年子宮体癌のため、子宮摘出手術
2年前の2007年3月19日の交通事故
「大した事無く、生きていて良かった。」を参照下さい。
http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/36422622.html
に続く、三度目の九死に一生・・・。
本当に一刻も早く、兄と再会できるように、改めて、皆さんに協力をお願い致します<(_ _)>
お兄ちゃん・・・早く帰ってきて。
posted by KONA at 12:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月24日

お盆は、福島に行きました。

今年のお盆は、母方・父方両方の祖父母の墓参りに行けました。
夫とは、偶然知り合ったのですが、義父母の出身は、KONAの両親と同じ福島県です。
夫のお母さんの実家は、妹さんが継がれているので、夫も小さい頃から良く遊びに行き、結婚後もお盆には、そのおばさんの家にお世話になっています。
夫の今の父は養父ですが、やはり福島に本家があります。
実のお父さんは数年前に亡くなりましたが、坂之上田村磨縁の、福島県の守山城の家老を先祖に持つ、地元では有名な自然酒醸造元の家系の方です。
http://www.kinpou.co.jp/
一昨年、入籍してまもなくのお盆に、夫の実父の墓参りに伺ったら、直ぐ傍の郡山市の霊園が、母方の祖母が入っている霊園だと気が付きました。お世話になっているおばさんの家も、そちら家系のお墓からも、車で10数分の場所です。
昨年、墓所を確認に訪れたら、北朝鮮から引き上げてきた祖母と、北朝鮮で亡くなった祖父、兄が失踪した時、私の面倒を見てくれた、母の兄のおじさんまでが入っているのが解かり、夫と知り合った縁は、小さい時もたまにしか来なかった福島に毎年来るように、呼ばれたのかなぁ?と、感じてしまいます。
長男のおじさんが先に亡くなったので、お嫁に来た母の姉が、おばあちゃんを連れてきたのが、偶然郡山だったようで、郡山の墓地に入っているようです。
今年はきちんと、ご先祖供養と、兄と母を見守って、再会させてもらえるように、お参りしてきました。

ただ、調査会の真鍋さんがおっしゃっていた、「日本中、何処に行っても拉致事件から離れられない」と言う実感は、ここにもあります。
06.9.29記事「日本全国・365日」→http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/24617490.html
守山城跡の守山小学校から、1Kmほどの所に、福島朝鮮初中級学校があるのです・・・。

父と、北朝鮮から引き上げ後の母も、川俣の出身で、父方の実家のお墓は、川俣にあります。
05.8.15記事「母の終戦」→http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/5913619.html
先祖は二本松城の剣術師範だったとか・・・。KONAが剣に惹かれるのは、この為でしょうか?
そちらにも、父と兄を見守り、元気に再会できるように、お参りに行きました。
私達夫婦の縁、帰ってきたら、兄に話したい、出来事です。

最後に、川俣町の東、太平洋に面した、旧原町:現南相馬市で、坂上良則さんが、兄・清文が太平洋上の島から失踪して10日ほど後、33年前の8月10日、失踪されました。
調査会リスト→http://www.chosa-kai.jp/listkensaku.html
(検索欄に、1976と入力して検索してみてください。)
因果(あるいは意図?)を感じずにはいられません。

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2009年07月30日

夏が来れば思い出す・・・・兄失踪から33年

夏が来れば思い出す
白砂浜 青い海
と替え歌したくなる、神津島は、風光明媚な島です。

兄・清文が、あの美しい南国の島から失踪して、33年になります。
海無し県、長野に育ったKONAにとって、思い出の海は、兄と泳いだ湘南ですが、心の海は、兄を隠した、恐ろしいほど美しい、神の島です。
高校生になったKOANは、オメガトライブを好きになりました。
夏休みに、両親と私の友人と出かけた神津島の砂浜で、1人オメガを聞きました。
好きな曲、それを再現したような景色・・・だけど悲しくてサングラスの中で、涙があふれることもありました。

兄が拉致だったとしたら、この天国のような島から、生き地獄の金政権下に、連れて行かれたことになります。

今朝、真ん中の兄から、「父が脊柱間狭窄症で、手術になるかも」とメールがあり、心配になり、早速電話して様子を聞きました。
元々膝が痛かったのに加え、足に痺れが出てきて、調べてもらったら、脊柱間狭窄症と言う事みたいです。
「死ぬことは無いから、心配するな」と言われましたが、兄と元気に再会してもらいたいKONAは、心配です。
努力家で、無理をしがちな父は、自宅の増設やリフォームを自力で行なったり、テニスも続けていたりします。
兄の捜索も、そうとう無理をしていたと思います。無事に改善されるのを祈ります。

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2009年02月22日

今夜「鉄腕DASH」で放送、神津島

ソーラーカーだん吉が、海岸線を一筆書きで日本一周する企画。

この番組はいつも何気なく見ていたのですが、良く考えたら、拉致現場になったであろう、海岸を、いくつも横目に巡る旅。そう考えると悲しいなぁと思っていた矢先、私の家族が、神津島に兄を捜しに行く際、主に使っていた下田から、この番組は一筆書きをしに、神津島に向かった様です。

以前私が、神津島に、拉致ではないかと探しに行った様子は、2005年9月5日に、こちらのブログに書きました。
http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/6579666.html

また、2005年8月31日テレビ朝日「Jチャン・迷宮の扉」で放送された、「シリーズ拉致疑惑」の様子は、壇君WHO's WHO内の
http://kamomiya.ddo.jp/Rachi.html
0番台リスト内で「WMV」ファイルで見る事が出来ます。

普通に遊びに行けば、花崗岩の砂浜は白く、海はこの上なく美しく、テーブル状の天上山は低山登山に適した、花の百名山であり、湧き水に、島特産の野菜に、新鮮な魚と、風光明媚な山海岸線で、とてもすばらしい島ですが、CMで見ていても、船でだんだん見えてくる島影は、私の中で、兄の墓標の様に見えてしまいます。

日本のこんな素敵な所で、拉致があったかも知れない。こちらをご覧の皆さんは、私と同じく、悔しい気持ちも感じながら見てくださると思います。
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2008年07月31日

32年前の今日

32年前の今日、朝8時頃、神津島派出所から、兄・清文失踪の電話があり、対応した父の奇声で「なに〜!?」と言っているのと、電話口に立つ、そのシルエットを、KONAは今でも鮮明に覚えています。

失踪当時の様子は、三年前の2005/7/29の記事「明日、兄失踪から29年…」
http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/5448107.html
をご覧になって下さい。

ブログの更新を、ご無沙汰しておりました。
KONAの昨年11月からの様子(言い訳)ですが、
まず、失踪者ご家族の方で、話が合わず、折り合いが悪く、挨拶もしていただけない方が現れ、このブログに何か書こうとすると、その方の悪口を書いてしまいそうで、気持ちの整理がつくのに、時間がかかっています。
未だにその方は、会っても無視され、気持ちは晴れないままです。
原因は聞いていないのですが、しおかぜの集いの準備の際に、それ以前からも、年下に意見されるのが、面白くなかったのだろうと、思います。

また、昨年11月中旬からひいた風邪が、引越しして医者が合わないのか、1月中旬まで長引き、調子が悪いのを、飴や何か喉を通す事で、紛らわしながら仕事をしていたら、その間に6キロも太ってしまいました。
調子の悪い最中に、しおかぜの集いに参加し、お正月には1人で実家に帰りました。

調子が戻ってきた頃から、
友人がマルチに引っかかり、救出したものの、他の精神的に弱い友人とトラブルになり、仲裁したものの、離散。
職場の社長宛に電話を掛けてくる、エセ右翼を断る。
仕事上のトラブルが続く・・・(T_T)

落ち着くと思われたGWに、また風邪をひき、それでも無理をして、夫婦で長野に帰郷するものの、遊びがてら、のんびりしたいKONA夫婦と、帰ってきたら手伝って欲しい父の、思惑が合わず、また、帰る度具合の悪い事をとがめられ、声が出ないのに、大喧嘩。
父以上に頑固な旦那は、二度と行かないと申しております(T_T)

「しょうがないな」と様子を見ていた6月、5月末で退職となった義母(兄・清文の母ではないので冷静に読んでください)が、発熱食欲不振、嘔吐、尿の臭いが変だ、と病院へ行き検査すると、肺転移があるステージ4の腎臓癌だと・・・(T_T)

7/14に左腎臓の原発巣摘出手術を受け、手術は無事成功。
術後の経過が良いので、今週から、拡散転移していて摘出できない、肺の転移巣等を縮小、あるいは拡大させない、他所転移を増やさないために、抗がん剤が効かない腎臓原発癌なので、C型肝炎等に使う免疫療法剤のインターフェロンの投与を始めました。
副作用で、インフルエンザの様な症状が出るのですが、それも軽いみたいなので後は、奏効率約30%の薬が効き、5年生存率約20%に入る事を祈るばかりです。

摘出した腎臓を見せてもらいましたが、早期癌で発見された実母の子宮癌の「小さい玉状の目玉焼きの白身」の見た感じと違い、癌そのものが大きくなり過ぎて、内部に栄養がまわらず、壊死していて、黄色い塊の中心部がベージュに変色していました。
これが腫瘍毒を出し、熱が出て義母を苦しめたようです。

結婚相手の家族も大切にしていれば、きっと兄も帰って来て、実母にも親孝行、出来るような気がして、病院が職場に近い事も幸いして、毎日のように、お見舞いに行っています。

そんな矢先、大澤孝司さんのお父様が、お亡くなりになられたとの訃報。ご冥福をお祈りすると共に、天国から、孝司さんの無事帰国を見守っていてくれる事を願わずにいられません。

という訳で、KONAは、相変わらず忙しい日々を送っています。
嬉しい事もありましたが、又の機会にご報告いたします。

32年も経ってしまいました。過ぎてしまったことは仕方が無い。
最近ハマリ気味の、医療ドラマで
「負けたから終わりじゃない、諦めたら終わりなんだ」
と言う言葉に、母や義母の癌や、兄の救出について、思いを同じくする言葉でした。

今後とも長い目で、拉致事件解決に、ご協力下さい。
posted by KONA at 12:38| Comment(0) | TrackBack(1) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月01日

兄・清文 51歳

月末の諸事に終われ、12時を回ろうかと言う時間に、真ん中の兄から、メールがありました。
昨日10月31日、清文兄ちゃんは、51歳になりました。

出っ歯にならないようにと、前歯を押えるように、歯を上唇を手で押えたり、はげないようにと、頭皮をマッサージしていたと言う、20歳前の兄。歯や、頭髪は、本人の希望のように健康でしょうか・・・。

今となっては、歯や髪は多少痛んでいても、元気で生きて、日本に戻れる事を、目指しているのではないでしょか。


全員奪還=金政権崩壊です。


12月16日に、東京、大阪同時開催で、特定失踪者問題調査会主催の初集会「しおかぜの集い」が行なわれます。間もなく詳細の解かるチラシ等の準備が出来てくると思います。このブログでも、別途詳細のご報告をいたします。
KONAも家族実行委員として頑張りますので、当日までの広報の協力、当日のボランティア、沢山の皆様の参加、ネット中継視聴の協力を切にせつに、お願い申し上げます。
posted by KONA at 09:11| Comment(1) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月30日

そして今年も31回目の7/30となりました。

兄・高野清文が、神津島で忽然と消えて、31年が経ち、今年もまた、7/30が来ました。

31年前の兄は、今頃どんな目に遭い、何を思っていたのでしょうか・・・?
31年も経ってしまった、今この時、何を思っているのでしょうか?
生き抜くため、金政権の方針に逆らわず、自分の心を殺して、日本の事や、家族の事を、思い出すこともできないまま、生きているのでしょうか?

せめて、31年前の出来事や、日本に居た頃の事を思い返す、余裕のある心であることを、願わずにはいられません。


参院選の結果が出ましたが、どこの政党が政権を取ろうとも、誰が首相になろうとも、日本の主権と、国民の命を守る義務の元、日本国の力で拉致事件は全面解決されなければならないはずです。
自力で拉致事件の解決の出来ない(する気の無い)日本ならば、それはもう、平和ボケして、国と名のつくものでは、なくなっている。
そうなってしまうのが、実は一番怖いと感じています。


私の個人的意見でお話すると、「生活が第一」とTVCMでおっしゃっている、参院第一政党になられた、党首の方が、昨年のメーデーで、調査会ブースの隣で、わんこそばのパフォーマンスをしていた辺りを見るのと・・・、
http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/17263714.html
国内向けの拉致PRCMに膨大な資金をかけたり、ラジオ放送では、拉致の可能性のある人の名前を、読み上げる事もしてはくれない、政権政党と・・・、
どちらも拉致の本質を見極めてはくれないのだろうかと、彼の地の兄を遠くむなしく、かすんで見える思いです。


この選挙を期に、もっと美しく強い日本になってください。
味方であるべき日本国政府さえも、拉致被害者の敵になってしまわぬように・・・。
posted by KONA at 16:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月20日

大した事無く、生きていて良かった。

昨日3/19の事です。KONAは、ちょっと熱が高くなって、仕事を休んだのですが、夕刻、父より、電話が入りました。

母が交通事故に遭ったと言います。

KONAや、兄・清文が通学した小学校の少し先の道路で、直進していてた母の車に左の横道から、右折して来た車が助手席側側面に突っ込み、母の車は空中をスライドし、逆方向を向くように、180度回転し、対向車線を超えて、店舗ガラスを割って、止まったと言います。

母は、右折車が止まっていたので、そのまま直進したのですが、相手の方が、母の車を確認せず、右折したとの事、全面的に謝罪していたようです。

元々おばあちゃん運転なので、スピードも40キロぐらいで、事故の瞬間、母はハンドルにしがみついたと言います。側面からの衝撃だったので、エアバックは開かず、胸を打ったと言う事です。意識は動揺して、ちょっとぼんやりした程度だったようです。

子宮がんの摘出手術をしたのと、同じ病院に、救急車で運ばれ、脳波や、レントゲンの検査をしたものの、出血、骨折等の外傷や異常は認められず、そのまま帰宅して様子を見ると言う事で、電話をもらった時には、母も在宅していました。

まだ私も写真等見ていませんが、運転席側はドアも開いて、母は普通に外に出られたようですが、助手席側の破損はひどく、ドアは開かず、オイルも出ていたようですし、タイヤも3本パンクしていたと言います。

骨粗しょう症気味の母があばら骨を折ったり内臓損傷していたら・・・。
もし、父の運転で、母が助手席だったら・・・。
対向車線側に車や小学生などの歩行者が居たら・・・。
店舗には悪いですが、飛んでいった先がコンクリート塀だったら・・・。

事故の時は後から後遺症が出たりするので、しばらく予断は許せませんが、不幸中の幸いと思います。

兄が拉致であるなら、母には必ず再会してもらいたいと思っています。兄のためにも。そんな母が、交通事故死や、重篤な状態にならなくて、本当に良かったと、熱の中しばし涙しました。

昨日の事故で、きっと「母は生かされてい」る、感じました。
そして兄もきっと「生かされている」と。

政府や国際社会がおかしな動きをしようとも、真実の元に集まる一人一人の「人の心」が、必ず全てをさらけ出すと、信じています。

長野救う会会長他を除名した、救う会全国協議会と、調査会が、一線を画し、北朝鮮の「拉致被害者最小限・一部加害者作戦」に歩調をあわせようとする動きが見える、政府・救う会全国協議会ではありますが、今はどんなに向こうに合わせても、いつか合わせた事を後悔する真実の現実が存在しますよ・・・。

本当にご理解いただいている、支援者の皆さん、一般の国民の皆さん。「一緒に頑張りましょう」との励まし、ありがとうございます。今後とも共に見守り、共に戦って下さい。
posted by KONA at 13:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月28日

切り捨てられる恐怖

2月もおわりですね。
2月の世界情勢、6カ国協議の流れ、国内のごたごた等の、混沌とした状況に、ここへの書き込みが鈍ってしまいました。

暖かい冬、心寒い春、春の嵐と冬の嵐が、たたみかけるように、心の中を荒して行きます。恋愛をしていても、ディズニーへ遊びに行っても、天国のような場所で、心の拉致事件の場所だけは、地獄のように一向に潤う事はなく、荒れ続けていました。
また、拉致問題を音楽でバックアップする動きが見られ、動揺や、自分の身の振り方に苦慮していた事もあります。
しかし、また音楽と言う「優しい武器」が、KONAを後押ししています。
3月は、頑張って動かなければ、今、世の中に出ているニュースを見て、心痛めている両親を、支えなければ。

最近とある掲示板から知り、覗いているブログがあります。

http://yoken.kinmiraiken.jp/wordpress/?cat=2

ここ最近の日本政府の動きを見ても、この方の見ている未来についても、特定失踪者は切り捨てられると言う恐怖が込み上げてきます。その時、日本は、既に国家を成していないと言う恐怖も、合わせて襲ってきます。

自分の家族が溺れているても助けてもらえず、自分が溺れたとしても、そっぽを向き、助ける事のできない、そんな国。主権も人権も無視される。これはもう国家ではないですよねぇ。

日本はもう平和ではないのです。

KONAが高校生の頃から予感している、「自分が42歳の時に兄に(56歳)会える(母77歳・父80歳)」というものは、早くならないのでしょうか?KONAの予感と、以前見てもらった超能力者の見たものと、

http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/12643569.html

この方の意見で一致してしまう部分があります。何とかもっと速やかに、少しでも良い方向に運命を切り開きたいです。

桜が散る頃に、その姿を重ねてしまうのは、日本国家でしょうか、金政権でしょうか?

posted by KONA at 13:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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