2007年01月29日

旧宅の思い出

兄がいた頃に暮らしていた家は、ぼろぼろになったのですが、兄が帰ってきたときの、記憶の糧にしてもらえるように、長野に残してもらっています。

兄が失踪する前に、トイレと風呂場を増築することにしました。全て業者に頼むわけではなく、父や家族が手伝って増築していたと記憶しています。
その際トイレのタンクを入れる穴を掘っていました。
好奇心旺盛な幼少のKONAは、穴にかけられたはしごを下りて遊んでいました。
まだ小さかったKONAには、結構大きな穴だったように思いました。
すると兄二人は、ふざけてはしごを穴から上げてしまいました。
急に怖くなったのと、意地悪されていると感じたKONAは大声で泣きました。
すぐに、はしごは戻され、KONAは穴の上に上がったのでしたが、近くに居た母は、二人の兄を叱ったと言います。

今考えると、なんてのどかな家族の風景だったのかと、母と二人で思い出し、笑い、せつなくなりました。

そんな記憶が戻るきっかけになるように、ぼろぼろになっても、昔の家は残しておきたのですが、早く帰ってきてもらわないと、父が元気なうちに、取り壊したい意向もわかるので、どうしたら良いか、答えは出せないままです。
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2007年01月04日

本年も宜しくお願いします。

まだ、おめでとうとは言えませんが、本年もよろしくお願いいたします。

前回の記事通り、塩尻に帰ってゆっくり年越しして来ました。
大好きな母とも、沢山話をして来ました。

kamidana.jpg


写真は実家にある、兄の失踪から七年経過後、両親が心のけじめをつけるため、失踪宣告で籍を抜き、神徒で供養するために設けた、御霊舎です。
2002.9.17から後は、生きていて欲しい、再会できるように祈る場になっています。

そんな中で、大晦日の午後、「大掃除の時に見つけた」と、兄の小学校の時の同級生の方が、当時、兄からもらったと言う、手作りの切手を持って来てくれました。

kitte.jpg


2005.7.30のブログ
http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/5491478.html
でも記載したように、兄は小学生の頃、切手集め等で遊んでいたと聞きました。実際に使用するためでは無く、友達同士で交換し、コレクションするために、手書きの切手を、作っていたと言う事でした。
実物を見るのは初めてで、裏を見ると、ノートの罫線があり、少ないお小遣いで、こんな遊びをしていたんだと、幼き日の兄を思いました。

このタイミングで届けていただいたのも、何かの掲示でしょう。
今年こそ、しかも早い段階で、金政権から、拉致被害者を救出しようと、決意を堅くしております。

どうか皆さんのあと一押しをお願いして、年頭の挨拶にしたいと思います。

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2006年10月31日

「おめでとう」と言えない誕生日

とうとう、兄・清文が50歳の誕生日を迎えました。
20歳を向かえる前に失踪し、拉致であるならば、30年以上の歳月を過ごした事を、痛感していることでしょう。

こんな日なのに、KONAは忙しいです。
こんな日なのに、日常に流されている自分が悔しいです。

早く、心おきなく日常に流されたい。
早く、兄が平和な日常に中で、穏やかに過ごし、誕生日を迎えさせてあげたいです。

来年こそは・・・。
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2006年10月10日

電車男とアキバ王

昨年映画化、ドラマ化され、最近もスペシャルが放送された『電車男』
2チャンネルのやり取りが、一般的に認識されるようになったのは、このドラマのお陰かと思います。誹謗中傷の多い、2チャンネルの中では、とても良識的なスレッドだったのではないでしょうか?

お陰で、調査会の短波放送『しおかぜ』の傍受状況確認のために、抵抗を感じる事なく、2チャンネルを見ることが出来ます。あそこの住人(参加)の方は、誹謗中傷をやんわりと排除し、一緒に聞きませんかと推奨する、良識以上に素敵なスレッドだと思います。

さて、この『電車男』の純朴さに同情してしまい、フィアンセと一緒にはまっています。KONA以上に活字嫌いでPCもやらないフィアンセ君が、なんと『電車男』の本を買いたいと言う始末。恐るべし『電車男』

そして、こう言っているKONAも、その昔、晴海やビックサイトに、AXSのコスプレをして行っていた、オタクの片割れ(?)ちなみに最近コメント入れてくれてる、雅桜(あさくら)さんは、衣装やモノマネの相方だったりします。
アシスタント暦が1年あり、スタイリストになりたかった、衣装好きのKONAにとって、コスプレって観点では、ディズニーランドのハロウィンの仮装も、コスプレ以外の何者でもなく・・・。
カルロス・オメガのオフ会にも、昔の衣装っぽいの着ていったり、韓国俳優のイベントにも、役の服装で行ったりと、解かってる人が、面白がるのが、楽しくって仕方がないのは、オタクと言うより、マニアと言うなんて意見もあります。
見る分には、メイド喫茶や、執事喫茶の服装が気になります。ディズニーランドでも、ホーンテッドマンションの衣装が好きですからね。

拉致・ディズニー・AXS・オメガ・手作りが、KONAの中で渾然一体となって、このブログが成り立っています。

最近ふと見た番組に、アキバ王(多分、テレビ東京のTVチャンピオン)の方が出演していたのですが、なんと電気通信大学の現役学生さんだとか・・・。兄・清文の後輩じゃないですか!!

失踪した兄・清文と3歳違いの真ん中の兄も、理工学部系で、関東圏の大学生だったので、秋葉原には通っていたとか・・・。もちろん、電機・電子部品探索のためですが、技術者を目指す、機械オタク系の集まりから、ずいぶんイメージが変わった、と言ってました。
きっと清文兄ちゃんも無縁ではなかったと思います。

そんな訳で、前出の2チャンネル「しおかぜ」スレッドでも、短波ラジオの機械的・技術的な話になってくると、時々秋葉原が出てきたりして、なんだか兄を思い出したりします。

金政権には技術者(核・ミサイル)が必要だったとすれば、アキバは意外とポイントなのかもしれません・・・よ。
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2006年09月06日

兄の癖

KONAの写真を見ていて、気が付いている方もいらっしゃると思いますが、髪の毛を伸ばし始めてもうすぐ一年。高校生以来のロングヘアーで、洗うのにも一苦労。頭をぐしゃぐしゃしていて思い出したのが、兄・清文の癖。

KONAは考え事をしていると、舌が出てくる癖があるのですが、兄・清文は、頭を掻く癖があったとか。
幼少の頃は、爪をかむ癖があったとか・・・。
癖ではないですが、文字を書くのを右手に補正した他は、基本的に左利き。

悪く言うと神経質な感じですが、KONAにとっては、優しくて頭のいいお兄ちゃんでした・・・。改め・・です。

どこかで見かけた方、いらっしゃいませんか?
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2006年08月30日

あきらめるとは・・・

兄・清文が拉致かも知れないと、微力ながら調べ始めて、4年になろうとしています。
北朝鮮との冷戦(冷戦ですよね?)は一進一退し、兄が見つかるか、帰ってくる様子は、全く闇の中でつかめないままです。

兄の失踪前に暮らしていた家は、築30数年を過ぎ、4年前に取り壊し、アパートでも建てようと言う父を止めたのは、KONAでした。
金成日が、拉致を認め、KONAは兄の生存を、強く感じた頃でした。日本での記憶を取り戻して貰い、洗脳から兄を救う、リハビリにはとても重要な家だと思ったからです。
しかし先日、父から再び「壊そう」と言う話が出ました。田舎では、日々のちょっとした、金政権との攻防は、解からず、そんな父にとって、4年はとても長い時間だったに違いありません。この先、何時まで、自分たち夫婦が元気で居られるか、と言う不安も、この先を見据える気持ちもあるからだと思います。

KONAも出来れば、父母になるべく負担にならないうちに、式を挙げ、安心させたいと思うのですが、反面、兄も帰ってきて、一緒に祝って貰わないと、心から喜ぶ事が、出来ません。

調査会の荒木代表が、昨年12月の国民大集会で、2006年中の解決を目指すと言った時、「そんなに早く解決できるのか?」と、身震いしました。と同時に、調査会の皆さんの、並々ならぬ苦労の下での努力を知っているので、「あかの他人がここまでしてくれる。」(母が良く言ってます)こんな事が何時までも続いてはいけないとも思いました。

もちろん、これまで度々お話してきた通り、
@被害者本人の命
A待っている家族の命
B金政権の犯罪(工作員教育、核・ミサイル、生物兵器、麻薬、偽たばこ、偽札)の手助けを避けるため
C手助けした犯罪によって、新たな被害が出るのを未然に食い止めるため
一刻も早く全面解決が必要です。

だからこそ荒木代表も、目標期限を掲げる事で、救出への士気を高め、本当に動かなければならない人達へのメッセージとしたのだと思います。
その期限である今年末まで、残すところ、後4ヶ月。日本の政治情勢も変わります。
現・安部官房長官が、「日本が(拉致)認定をしていない失踪者も含めて、真相を究明していきたい」と、28日に発言されたとか・・・。
安部官房長官のお膝元、山口県でも、沢山の失踪者が居ますし、宇部では、兄の失踪の3日後、8月2日に国広富子さんが失踪し、調査会では、拉致濃厚としています。
KONAの母が、北朝鮮から引き揚げて来た時の上陸港も、下関だったと言います。
この流れが、拉致事件、全面解決へ流れていく事を祈ります。

今年中の解決を信じて、とりあえず古い実家を壊すのは、来年まで待ってくれるよう、父にお願いしました。

来年、兄の帰還を祝い、古い実家をリフォームし、挙式に一緒に参加してもらうか・・・。
あきらめて、家を壊し、兄の居ない挙式をするか、分かれ道です。
あきらめる事も検討しないといけないかなぁ?と、考えたとき、ふと思い身震いしました。

兄・清文は、どれぐらいで、「日本から助けが来ない」と、あきらめたのだろうかと・・・。
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2006年08月09日

母の小学校の校歌

原爆の日、終戦の日が続くこの次期、母の話を思い出さずには居られません。
母が北朝鮮からの引揚者と言う話は05.8.15の記事
http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/5913619.html
にいたしました。
その後、開城は、南北融和政策の名の下に、工業地域として、良く耳にするようになりましたが、母が開城の小学校に通学していた頃の話を聞いたところ、小学校の校歌を教えてくれました。

はうがく(ガタガタした)山の松風や
せいそう いくとせ 高麗の
都の跡も 偲ばれて
我が校の波は 今ここに

本当に開城の小学校に通学していたのだなと、実感する、母の歌でした。

KONAにとって、拉致事件はもちろん、北朝鮮に係わる全ての人権問題は、他人事ではない、事案なのです。
北朝鮮に人権を!!
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2006年08月07日

誰が味方なんでしょうか?

5月22日の記事
http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/18203850.html
にて、総連と民団の和解に、長野の民団は、中央の決定に従わないと表明した報道を、記事にしました。
その後、7月5日のミサイル発射によって、結果、総連と民団の和解は撤回されたとのこと。
長野民団の勇気ある行動の裏で、良く解からないのが、地方自治体。

7/25の産経長野版の記事にて、松本市が、市内の長野朝鮮初中級学校敷地内にある「朝鮮文化会館」への固定資産税課税の減免措置を継続する。と言う記事目にしました。
電脳補完録参照→http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=5398

松本は、兄やKONAの学区でもあり、だからこそ、兄は県ヶ丘高校へ行っていました。
大町ルートの中核とも言える松本で、全国的に金政権とその片腕の総連への、制裁をする動きに逆流するような処遇に、改めて、長野県は、
★ 金政権の工作活動の中核になり、
★ 拉致問題において、国民意識の陸の孤島になっている。
と思います。

今年4月に発足した、拉致問題地方議会全国協議会。現在22都道府県が参加しているものの、長野はまだ参加していないといいます。長野県出身者として、拉致の疑いがある家族を持つものとして、他の県内失踪者を知る者として、長野の県議から、声の上がらない事を、とても残念に思います。

全国的にも注目される中、昨日長野は、新知事が誕生しました。塩尻市も、総裁選に同じく9月に市長選挙があるとか。兄の行政所属は、奇遇にも、この8・9月で、市・県・国の代表が全てに動きがあるという様相です。

長野県の皆さん。どんなに目を背けても、県内出身の拉致被害者は、必ず存在しますし、きっと親元に帰ってくる事になります。そして国は地方自治体に、その対応を任せる事になるでしょう。
地方自治を支えるためにも、皆さんの、強力な人間としての意識(愛)が必要です。この機会に是非長野県議からも、拉致問題に取り組んでいただきたいと思います。
どうか日本の陸の孤島にならないでください・・・。
posted by KONA at 12:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月30日

今日、兄失踪から30年

今日関東では、梅雨が明けたそうですが、心底気持ちは晴れません。

兄が失踪した時の捜索状況は昨年7月29日の記事にしましたので、そちらを参照ください。
http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/5448107.html

何か区切りがある度に思うのです、それまでに何とかしたい・・・。
今日の失踪から30年も、今日までに何とかしたいと思っていた、大きい区切りでした。まだ、兄はどうなったか分かりません。

そして今年の10月31日は50歳の誕生日です。今はそれまでに・・・と、また思ってしまうのですが。


今日、塩尻の実家には、長野県の中信地区が大雨に見舞われたことを心配したりしたり、偶然にも、多様な電話が、親戚・知人からあったと言います。各話題の他に、兄の失踪から30年と言う話が出たそうです。

そして父は、23年前に造ったお墓を、「どうなるか分からないが、磨いてきた。」と言います。


30年と言う月日は、幼女を、おばさんにしてしまうほどの永さなのです。そう、「長い」ではなく、「永い」なのです。


お兄ちゃんごめんね。
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2006年07月26日

コウヅ(コオズ)エビネ

7月9日の朝、NHKの画面から、見慣れた景色が流れました。
「さわやか自然百景」において、伊豆諸島 神津島が流れるところでした。
外出しようとした矢先だったので、録画もできず、後でネットにて、内容を拝見しました。
http://www.nhk.or.jp/sawayaka/koudusima.html

ちょうど15日に実家に帰ったら、写真を撮ろうと思って忘れてしまった、「コウヅエビネ」も紹介されていました。

kodushima09.jpg

漢字表記すると「神津海老根」
エビネは書いて字のごとく、根っこが海老に似ている事に由来しているようです。

父は植物好きです。
06.7.20の記事にした、家庭菜園や、結婚50周年のバラの花束を贈るにあたり、いつも庭のバラを持ってくる事に、母が納得しなくて、父から依頼があったことでも、解かると思います。
KONAの誕生日の写真と言えば、大輪の菊の花と共に、写っているものが多いのも、そのせいです。
春と言えば沈丁花(うちでは、ちんちょうげと呼んでます)が、白い花に柑橘系のいい香りを、秋には金木犀が、オレンジの花に甘い香りと、同じ場所に植えられていて、中々気の利いた演出だったと、今になって思うのですが、兄・清文は、この香りを覚えているでしょうか?

神津島の固有種であることから、植物好きの父が、兄の代わりにと持って(株分けして)帰ってきて、育ててきたのが、この「コウズエビネ」です。
島では5月に咲くそうですが、長野の実家では、6〜7月頃の開花だったと記憶しています。
特に目立つ色合いではないものの、ニオイエビネの一種(亜種?自然交配種?)で、香りが良いようです。(KONAは気が付きませんでしたが。)
花言葉も 「誠実、謙虚」と、なんとなく兄の印象に重なります。(私と違って・・・)

苦労して育て、もう少しで一人前になると、楽しみにしていた矢先の失踪。その喪失間を埋めるため、父は「コウヅエビネ」を、我が子のように慈しんで、育てたのだと思います。

兄・清文失踪から間もなく30年。神津島で兄を見送ったエビネは、今年も兄を待ちながら、大町でひっそりと花を咲かせたと言います
posted by KONA at 11:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月08日

疑問、どこが調べている?

内閣府の『【拉致】日本はみすてない』ポスターについて、疑問を投げかけた記事
http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/17098399.html
に、頂いたコメント、TBと、を見ていてふと思いました。
「拉致特命チーム」のできた事から、警察等から調査が入るかもしれない旨が、家族宛の調査会ニュースで入りました。各家に、警察等の訪問があったときには、特命チームの通達の元であるか、確認してくださいとの旨でした。

うちの兄・清文の場合は再調査依頼は長野の両親が塩尻の警察に出しています。神津島・新島に訪れた際にも、本署の新島署と、神津島派出所にも〈挨拶〉はしました。しかし、警視庁本庁や警察本庁に直接伺ったり、依頼したことはありません。

調査会ニュースは基本的にKONAの住所に届けて貰って、両親には、コピーを転送したり、電話で話したりして伝えているのですが、「調査に来たら、確認してください」って、KONAの家の場合「どこが調べていて、どこが確認に来るの?」という疑問です。

そもそも、うちの兄貴ごときが、拉致として調べてもらっているのか疑問なんですが、「何々警察のどこどこ部署が担当です。」と基本情報や、最近の状況を聴取に来ても良さそうだとは思いませんか?

いったいどこの部署が、KONAの所か、長野に来るのか、それぐらいは、はっきりさせてもらいたいと思うのですが・・・。
posted by KONA at 10:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月02日

4月30日汐見台ニュース取材の様子

4/24の記事、http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/16984845.html で不思議な縁がKONAの財産だと言う話を記事にしました。その後4/27の記事、http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/17098399.html のコメントに、同姓同名の高野美幸さんから書き込みがありました。本当に不思議なものですね。気が付いてくれてありがとうございます。
これを縁に、「同姓同名の人のお兄さんが、拉致かもしれないんだって・・・!」と、拉致問題に関心をもってくださる輪を広げて頂けると良いのですが。
(ネットで同姓同名を検索してみると、他にメイク講師・翻訳家・仏壇屋の社長さんや、大学教授の高野美幸さんが居るようですよ。)

不思議の縁は、日曜の汐見台ニュースの取材でもありました。編集長さんの誕生日が、9月28日で、一緒だったのです。だからという訳ではないですが、撮影用に、と持っていらっしゃった花籠を頂いてしまいました。

花いただきました.jpg


身近に拉致問題に直面し、戦っている女性が居る事に、とても関心を寄せられていました。
取材だけではなく、問題解決の為に、「もっと、いろんな事ができないかしら」と、一緒になって考えていただきました。お陰ですっかり長話になってしまいました。
記事の内容については、機会があれば、紹介したいと思います。
posted by KONA at 08:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月08日

結婚記念日の贈り物

2/11は両親の50周年の結婚記念日です。真ん中の兄に頼まれて、花束を贈る注文をしました。

<花束.jpg
2/11午前無事に届いたそうです (^_^)v


KONAはカードに
結婚50周年おめでとう
二人からもらった50年分の愛に感謝して


と書きました。送り主の名前に兄・清文の名前も入れようかと思って、真ん中の兄に相談したところ、「また泣かれちゃうかもしれないよ・・・」と言われて止めました。きっと兄も祝ってあげたいだろうに、と思いつつ・・・。
posted by KONA at 22:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月02日

「超能力」?と一笑できない内容

KONAは4歳の時、実の兄が、忽然と姿を消すと言う、世にも奇妙な経験をしたお陰で、幽霊も心霊写真もUFOも超能力も疑わない、不思議好きに育ちました。小学校から十代いっぱいの愛読雑誌は、おまじない、占い雑誌でした。
兄の籍を、失踪宣告によって抜いた時も、仮のお葬式をしたときも、違和感を感じていました。
高校生の頃から兄は私が42歳の時に再会できると予感してきました。(もちろん予感が外れて明日にでも帰ってきて欲しいですが・・・。)

デジャブにも良く遭います。
昨日も、初めて依頼された仕事なのに、同じ事をした記憶があり、それを確かめようとした時、担当者が他の人と話している状況まで、一緒でした。

兄が失踪した直後、島に探しに行って、一度帰ってきた母は、近所の神がかりの人にすがり、「犬で、島の西を探しなさい」と言われ、警察犬を依頼しました。何のご縁か、兄を探してくれた警察犬は、浅間山荘事件で活躍した二頭だったそうですが、今を思えば、千両池は島の南西で、灯台までは警察犬を連れて行ったとか・・・。「千両池まで下りていれば、何か手がかりかあったかなぁ・・・」と言うのは、当時高校生だった、真ん中の兄。真鍋さんと一緒に初めて神津島に行ったとき、真鍋さんは母から聞いた「島の西側」をとても気にしてくれました。
他の失踪者家族も、一度や二度は、超能力や神様と呼ばれるものに頼っていると、それが以外に真相を付いていたりする事を知ってらっりゃるようです。

さて、私は2004年6〜7月に、歌手:新井正人さんの紹介
http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/9995040.html
で、とある超能力者の方に兄の事を見て頂きました。


2004.6.26及び2004.7.26に見ていただいた、透視?記録
@拉致の状況
<1>住んでいた所から2回海を渡っている。
<2>拉致現場は白い砂浜。砂より小石っぽい海岸。当然人気のないのを見計らって、実行した。
<3>若い美女につまらないことで呼び出された。本人はすぐ済む事と思い海岸へ。
<4>拉致は17名のうち誰でも良かった。
<5>島へ手引きした者が島内に2〜3名居た。兄の拉致と同時に島から出た人間がいる。島民か外来かは分らない。手引きした男性二人に面識はなく、登山か、釣り人のような服装で同じ船で来ている。
<6>女性は知り合いで、先に島に来ていて呼び出した。
※1女性については別記する
<7>海岸で首に近い左後頭部を殴打され意識を失う。
<8>工作船は多幸湾方面から島の周りを偵察していた。
<9>チャンスがあればもう一人狙っていたようだ。
<10>海岸に行ったのは正午より日が西になった時。気がついたら船に乗せられていた。
<11>拉致された海岸に海を見て立って、左側にある小さな島に隠れていたのは、夕方近く。恩馳島の裏に隠れたようす。
<12>すぐに北朝鮮に行ったわけではない。
<13>「男女で」「3日」「7日」と言う声が聞こえる。兄を待ち伏せしたり、他の人を待っていた日数のようである。
<14>兄を拉致した漁船のような船の中には、最終的に、兄を含め、拉致された男性2人女性1人一緒に連れて行かれてる。
<15>女性は新島より失踪した、松下さんよりは細い顔の人に思える。
<16>日本の海岸線のあらゆる所から拉致している。
<17>拉致された?女性は、拉致した女性の可能性もある。
<18>朝鮮半島の西海岸に九州を回りこんで北朝鮮へ。

A北朝鮮での様子
<19>北朝鮮上陸後は、何回か移動して、今は中国の国境に近い側。
<20>山奥、『長春』に近い字や音の土地。
<21>ヘルメットをかぶり、あまり高くない平たい工場のような所で、長いパイプの監視か、メンテナンスをいている。
<22>周辺は平たくコンクリートで整地され、屋根は傾斜し全体が長い。トタンでできた外装。
※2中の様子は別記
<23>背中を丸め(藤田まことな感じ)歯はボロボロ、黒縁の大きな眼鏡で右目の上に大きな傷がある。
<24>北の女性と結婚し、18・17才の甥姪がいる。3人かも。相手の女性が軍服を着ている姿が見えるので、北朝鮮人。日本人なら,海を渡る姿が見えるはず。
<25>長男が、兄の高校の写真によく似ていて、頭が坊主。
<26>兄が35歳頃逃げるチャンスがあったが、子供を置いては逃げられなかった。
<27>兄が思い出すのは母と私。兄の中では、ピンクの着物(七五三に着た物と思われる)姿が私の思い出。成人式の姿もピンクの着物で思い描いた。まさかこんなに太ってるとは思ってない。私の(古典的な)幸せを祈っている。
<28>拉致被害者同士は助け合っているわけではなく、自分の身を守るため、同じ被害者を密告したり、殺してしまったり、他の拉致を手伝っている人がいる。(ひどい話と顔を歪めていました。)そうならないため、兄は貝になっているようです。

※1 彼女を追え
<29>チェックのロングスカートのワンピース姿で、ハンドバックを前に持つのが印象的な、ロングでシャギーの女性(*絵参照)
縮小美女.JPG

<30>大学校門の見える交差点の信号機から様子をうかがっていた。「当時の大学生は、目撃しているはず。」
<31>大学で何を学んでいるか調べ、違う事を勉強している学生を近辺で狙った。
<32>はじめは兄でない男性を狙ったが、仲間と居る事が多く、一人の多い兄を狙った。
<33>彼女はタエ(コ)ちゃん・セ(ツコ)ッちゃん・クミコなど多くの偽名を使い、日本人だが、北朝鮮と間を四回ぐらい行き来していた。
<34>島から北朝鮮に行く際も、同船していた。恋人が北朝鮮に居たのではないか。
<35>日本国内で、いつも釣り糸を垂れて、釣り人のフリをしている、頭髪が縮れ毛の薄毛の中年の男性が、指示をしていた。彼は現在中南米に逃れている。

※2 ヨーロッパ人・ロシア人の情報に当たれ
<36>工場内には各国の拉致被害者が26人。
<37>内4人が日本人。顔が見えた一人は、中近東系の人物。
<38>拉致被害者は軟禁状態で、外部には出られない。
<39>兄は自分の身を守る為、ほとんど口も利かない。声も出さずに目線で返事をするぐらい。
<40>兄のような専門職の被害者は、招待所ではなく、直接専門分野に入れられたため、より外部の情報がない状況にある。今、日本が拉致問題で騒いでいるのも知らない。
<41>こういった所に居る拉致被害者は、北朝鮮も出そうとはしないし、日本でも調べるのは無理(手が届かない)。
<42>ただ、ヨーロッパ人かロシア人は出入りしている様子。
<43>また、中国側に逃げる可能性が高いので、中国側にも注意を。



もちろん、彼女には、KONAからの事前情報は一切入れてはなく、拉致に関しては、一般的にTVや新聞の情報しかなく、調べるとしても、ネットの情報ぐらいしかないでしょう。
時期的に見ても、太平洋側に工作船が来る認識はない時期でしたし、「女性に拉致工作されたのではないか?(拉致美女工作員)」と言う話を真鍋さんに聞いたのは、この透視の直前ぐらいで、女性工作員と言うのが、にわかに信じがたかった頃でした。
そして、ジェンキンズさんの本「告白」から、拉致被害者は、もっと全世界的範囲で行われている様子が伺えるようになり、南米にはよど号グループが出入りしている形跡があり、北朝鮮の工作ポイントではないかと、疑いがもたれています。
こうして彼女の―見た―ものが次第に裏付けられて行くのです。
全面的に信じるわけではないですが、2004年でこの回答内容は、一笑にできないものが、あるのではないでしょうか?
私の拉致事件解決行動にはこの内容に基づくものがあるのをご理解いただけると良いのですが、皆さんはどう思いますか・・・?
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2005年10月31日

兄・清文40代最後の誕生日

今日で兄・清文は49歳になりました。50歳の誕生日を、家族で迎える事はできないのでしょうか?
金政権が拉致を認めて、兄が拉致かもしれない、と思いはじめてからここ数年。お正月が来れば、おせち料理を一緒に食べさせてあげたい。春が来れば、山菜の取りに、夏が来れば父の家庭菜園の野菜をバーベキューする楽しさを、秋になれば、山のきのこ狩りを・・・。年中行事の度に兄が居たらどうするだろう。両親はどうさせてあげたいのだろと考えます。そして来年こそは、と思わずにいられません。KONAが普通に楽しんでいる事を、自然にさせてあげたい、四季折々の人間の営みの楽しさを、自由にできる日はいつになるのでしょうか?

兄だけでなく、被害者全員が・・・
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2005年09月05日

サスペンス劇場

8月31日のスーパーJチャンネル『迷宮の扉』の放送はいかがだったでしょうか?

番組を見て下さった皆さん。告知のご協力を頂いた皆さん。放送後、コメント欄、メール、電話等で、感想をお寄せ頂いた皆さん。どうもありがとうございました。
また、特番の放送が首都圏のみだったため御覧になれなかった皆様。大変失礼いたしました。「壇君WHO'S WHO」の「News Library」

http://kamomiya.ddo.jp/Library.html

「Jチャン/拉致疑惑〜東京で消えた人々」でWMP動画として一週間程は御覧になることが可能かと思います。ダウンロードし、保存する事も可能です。ライブラリーへの長期保存も依頼しようと思っておりますので、情報が入りしだい、こちらでもお知らせしたいとおもいます。


さて、神津島で、今回の放送の内容のような事が解ったのは、2年前の秋に、調査会真鍋さん、父、真ん中の兄と四人で神津島へ調査に行った時の事でした。まず工作員の上陸できそうな、海岸を、車で探して歩きました。
島の北の返浜は地図で見ると島の居住区から離れていて、適していそうでしたが、新島に面し、目印になるものがないと言うことでした。
他の海岸線は海水浴やレジャー向けで、工作員の上陸ポイントとしてはどうかと言った場所でした。

日没が近くなり、最後に上陸の目印になりやすい、灯台を見ましょうと真鍋さんが言いました。地図を見ていたKONAは、高校生の時、島に来るのにガイドブックに載っていて、とても行きたかったけれども、兄を探している両親の手前、遊びに行きたいとは言えなかった場所『千両池』を思い出しました。
昔の火口が入り江になり、奇岩の様相に美しい海の水がある写真に、「見てみたい」と、とても興味を魅かれていた場所でした。
真鍋さんに「灯台のそばに、千両池と言う、面白い入り江があるんですよ!」と興味本位で話しました。すると真鍋さんの顔付きが変わって「千両池と言うのは、池ではなくて入り江なんですか?!」と言うと、灯台より先に入り江を見に行きました。
切り立った岩場を降りて行くと、行ってみたいと思っていた美しく不思議な景色に辿り付きました。真鍋さんは「こういう所です。(上陸ポイントは)ここに間違いないでしょう。」と言ったのです。頭の中で〇〇サスペンス劇場のテーマ曲が流れました。
「拉致ってこうゆう所で起きるの?!」美しく、奇妙な場所の夕暮れに、愕然として座り込んだのでした。
KONAの誕生日前日の太陽は、ほぼ真西に沈みかけ、その方向には恩馳瀬(おんばせ)と呼ばれる磯小島が夕日に浮かんでいました。恩馳瀬から灯台を目指して船を進めると、自然に千両池の入り口に入るという、位置関係なのです。


誕生日だった次の日、当時、兄達がお世話になった、元民宿のご夫婦に、話を聞きに伺いました。当時の様子を伺う中に、食事の時、兄が左利きだったから覚えていた事や、食事の数と人数が合わなかった話、壁に貼っていた紙類を、外の(島伝統のお餅を作る為の)かまどで無断で焼いていた話など聞いた後、兄の失踪が、島の神社の夏祭り三日前と、拉致事件の状況に共通するものがあり、真鍋さんが「他にお祭りはありませんか?」と聞いた時、また昔のガイドブックを思い出し、「ジュリア祭がありましたよね?」とKONAが答えました。次の瞬間、ジュリアが朝鮮貴族だったことを思い出したKONAの頭の中には、再び〇〇サスペンス劇場のテーマ曲が流れ、背筋が寒くなったのでした。
今年になって調査に行った時には兄が失踪した年のジュリア祭は第七回目であり、前年には関係者が、ローマ法王を訪問したことが話題になり、ジュリア祭巡礼のために船を貸切り訪問団が訪れる程、賑わったと言う史実を、神津島郷土資料館で確認したのでした。


posted by KONA at 10:11| Comment(2) | TrackBack(4) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月17日

兄の思い出

KONAは三歳ぐらいから、なんらかの記憶があります。ただ、兄が失踪したのが五歳と二年程しか記憶に残せる時間がありませんでした。それでも僅かに残っている、兄・清文の思い出について、触れてみたいと思います。


一番古い、兄との思い出は、自宅の洋室でソファーに座る兄の膝の上に座って、周りには、兄の友人と思われる、お兄さん達が居る記憶です。
兄が小中学生の頃は、友達が良く遊びに来ていたと聞きます。
また、友人の御一方には、「オーディオでクラッシックのレコードを聴きに、高野くんの家に遊びに行っていたよ。」と、話を伺いました。
何回かあった光景が、記憶になっているのだと思います。

洋間.jpg


向かい合って両手を繋ぎ、兄の膝に登るようにして、でんぐり返りする遊びを、良くしてもらいました。兄が居なくなったと理解したとき、「もうでんぐり返りしてもらえないんだ。遊んでもらえないんだ。」と悲しく思った記憶があります。

失踪の前年だと思うのですが、湘南方面に親戚が居るので、そこを訪問し、どの辺りか定かではないのですが、湘南の海で海水浴をしました。
兄の横で、浮き輪につかまっていると、背後からの波で浮き輪ごと逆さまになりました。KONAとしては、突然水の中が見えてびっくりしたのですが、兄があわてて浮き輪を戻したのだと思います。水面上に景色が戻ると、兄がほっとした表情をしていたのが思い出されます。

湘南.jpg


大学一年入学か、二年の進学の時か定かではないのですが、兄の春休みに、当時話題になっていた、パンダ観たくて、上野動物園に、家族五人で行きました。
父がカメラ係、真ん中の兄が荷物係、清文兄が私の係で、母は楽させてもらったと言います。
自分が着ていた、ピンクのワンピースに黄色の迷子札がとても鮮明に記憶に残っています。
兄に沢山じゃれて、抱っこや肩車をしてもらいました。

動物園.jpg


真ん中の兄に子供が生まれた時、こんな事を言っていました。「なんか懐かしい匂いがすると思ったら、お前が赤ちゃんの時の匂いだった。」と。失踪した兄・清文が無事に生きて生活し、子供が生まれているなら、その匂いで、KONAを思い出す事があったかもしれません。
posted by KONA at 09:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月30日

兄の生い立ち

29年前の今日、忽然と失踪した兄に一日思いを巡らせていました。今日は兄が失踪するまでの19年間の生い立ちについて、記事にしてみたいと思います。

1956年10月30日兄・清文は、福島県出身の両親の元、父の勤務先である、長野県信更町(現長野市信更町)で誕生しました。
6月1日のブログでも紹介しました

http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/4054294.html

「ふるさと」の景色の中で幼児期を過ごした事と思います。
おとなしく、あまりグズルことのなかった赤ん坊の兄は、親孝行だったと言います。
兄が幼い頃は、生活が厳しく、時代背景もあって、父は厳しかったようです。それでも兄は健康優良児で誕生日がもう少し遅ければ、県大会に出る所だったとか。
長野県内を2、3ヶ所転勤し、小学生で塩尻市に定住するまでに、三歳年下の弟が生まれました。
KONAからすると、真ん中の兄が話すには、三つぐらいの年の差の同性の兄弟は、おやつでも、勉強・スポーツでも、ライバルだった、と言っています。
やがて、兄・清文が中学生になりもうすぐ14歳になる年に母の願いから、妹であるKONAが誕生しました。思春期で、おとなしい兄はきっと恥ずかしかったのではないかと思います。
それでも優しい兄は、KONAの面倒も見てくれたようです。
合唱やサッカーの部活をし、家には良く友達が遊びに来ていました。切手集めや将棋、クラッシックのレコード鑑賞をしていたと、小中学校の時の友人の方達は言います。

高校の進路は、勉強だけでなく、サッカーもしたいと選んだそうです。
大学の進路は浪人が許されず、かなり葛藤の末、電気通信大学へ進学したようです。
奨学金で通学し、一年生では学生寮の空きがなく、京王線脇に下宿し、2年に入ってようやく学生寮に入寮できた、その三ヶ月後の失踪でした。
春休みに長野で、教習所に通い仮免を取り、4月から6月に調布の自動車学校に通い免許を取りました。夏休み長野の実家に帰ってきて春休みと同じバイトの夜間勤務に応募していました。取りたての免許で、昼間父が通勤に使用している車を運転して、バイトに行くのを楽しみにしていたと言います。
それより何より、兄が帰ってきたら、すぐに、親戚の叔父叔母と、長野県内の観光に行く予定だったとKONAは記憶しています。その証拠に、31日に遊びにきた、叔父叔母にKONAは預けられ、両親の不安そうな顔を見送ったKONAが、不安の中、叔母に生まれて初めて食べさせてもらった、卵サラダサンドウィッチは今でも忘れられない味になっています。

帰ってきたら・・・こんなに予定のあった兄が、自分の意志でどうかなってしまうのは考えにくく、今になって思うと、拉致されたとしか思えないのです。
posted by KONA at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月29日

明日、兄失踪から29年…

捜索ビラ.bmp

画像は、兄の捜索の為、東京・神奈川・静岡等、海岸線付近の主要交通機関に張って頂いたという、捜索ビラです。

明日7月30日は、兄・清文が、神津島から突然失踪して、29年目になります。

今回の記事では、2003年1月14日に長野県庁で41人目の公開特定失踪者として記者会見したとき、父・清正が説明した、失踪状況の会見文を転載いたします。なお、その後の調査で、多少変化のあった部分がございますが、公開当時の文章を、そのまま掲載いたします。

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・1976年(S51)7月28日、17名(本人含)の寮生で寮出発。翌29日朝、神津島着。
・29日と30日午前、寮生活について会議。30日の会話の中で「山が晴れている、今日は山(天上山・海抜574m)に行く」と言っていた。
・30日午後1時頃に山に行ったらしい。午後6時半になっても宿に戻らないため、警察に連絡。遭難ではないかと、消防団50名、学生16名、警察17名、一般協力者50名、計130余名で、夜の11時頃まで捜す。
・翌31日、早い人は朝3時半より消防団72名、学生16名、警察17名、他一般協力者が、夕方まで捜したが発見できず、続く8月1日も消防団、学生、警察で捜した。
・海では捜索船が2艘で、島を反対回り、ヘリコプターも飛んで捜索した。
・塩尻の私達の所には、不明翌日の31日朝8時、神津島署より電話があり、8月1日午前5時20分島に到着。午前7時頃より低い山の方を終日捜したが見つからない。
・8月2日は島最大の夏祭りのため捜索はできず、翌3日、約80名15班に分かれて捜索を行う。海上も舟で島を巡回するも、遺留品その他の発見はできなかった。
・ヘリコプターによる捜索は、8月1・4・8日天上山の危険場所と、人の目の届かない場所を2〜3回、捜索を続けた
・8月4日私(父)と寮生6名で天上山に登山し終日捜索を行ったが遺留品遺体等の発見できず。
・8月8〜9日の2日間、警察犬2匹警視庁よりヘリで運び、鑑識警察署員、消防団、役場職員、私(父)、弟(正秀)、12名と14名の2班に分かれて捜索を行ったが、何の手がかりもない。
・10月2日から伯父4名、私(父)、神津島から役場・消防団・警察署計8名が2名づつ4班に分かれて天上山だけ捜索したが、遺留品の発見も手がかりもない。
・その後1977年(S52)7月、1978年(S53)6月と3回訪島し捜索したが、手がかりひとつ見つからなかった。
・1979年(S54)10月8日長野県より登山家(富沢勲夫氏)、伯父2人、民宿主人、私(父)と、天上山の断崖と下の茂みを捜索したが、なにも見当たらない。
・1984年まで、神津島に合計9回捜索に行ったが、何も見つからず不明のまま、現在に至っています。
・当時1976年(S51)7月12日に近隣の新島で22歳の女性が行方不明になっているのを聞きました。後で雑誌『女性自身』の10月26日付紙面に記事が出ていました。

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兄が失踪に至る、そして両親の必死の捜索の様子を、この時期改めて見直すと、本当にやりきれない気持ちになります。失踪当時は何もわからなかった。拉致かもしれないと思ってからも、それを確認し、ただちに救出するする術はない。この、家族の無念の思い、皆さんはどう思われますか?
posted by KONA at 12:41| Comment(1) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月26日

母の戦い

KONAは、週に一度程度、長野に暮らす両親に、電話をしています。
一昨日は、前日に起こった地震を、心配してかけてきた留守電に対して、折り返し電話しました。母だけが居たので、被害は何もない旨伝え、同じ離れていても、兄・清文については、「地震や、気象状況を知る事もできないね」と話しました。
大丈夫だったと安否を知る事ができるのが、こんなに幸せな事かと、悲しくなりました。

続けて母は、「心配するなよぉ」と言いながら、病院の検査に引っ掛かり、再検査を受けないといけない事を話しました。
母は一昨年の夏に子宮ガンを摘出しています。真ん中の兄が、地区の検診を受けさせて、早期発見となった様ですが、実は体の違和感がその前にあったようです。ただ、もう、死ぬならそれでもいいと、医者に行く気もしなかったといいます。
ガンだと言う報告は真ん中の兄からの電話で知らせられたのですが、この時の「兄に会わせられないのかっ!!」というもやもやした気持ちが、母の報告で再びよみがえりました。
子供が居なくなり、何十年もその消息が分からないというストレスは、並のものではないと思います。

そうでなくても、母は、気が強いくせに、純粋で傷つきやすく、子供のKONAからしても、可愛い人です。そういった性格からも、体にストレスを蓄積しているのではないでしょうか。
そんな母を、「お兄ちゃんに会えるように頑張っているから、お母さんも頑張って。」と励まし、本当に頑張って手術を受け、日々体調に波のある体に付き合いながら、二年が過ぎました。

「二年も余計に生きたから心配するな。」そう母が言います。

二年経っても兄が拉致か違うかさえはっきりさせられない、拉致の全容を明らかにできない、自分の無力さに、そして日本政府と金政権に、憤りを感じずにはいられません。
KONAは摘出された母の子宮を見せて頂きました。自分も兄も、そこで数か月お世話になったと思うと、感謝と、この様子を兄にきちんと報告しなくてはならないという気持ちになりました。

KONAは高校生の頃から、自分が42歳になったら、兄が帰って来るような、気がしています。この話に対して、随分前から「お母さんが死んでから、お兄ちゃんが帰って来たら、(日本に居た頃)苦労させと悪かったと、謝っておいてくれ。」と伝言されます。
長男である兄・清文は、厳しく育てられたと言います。また時代としても、家庭としても、豊かな時期ではなく、母は兄を可愛そう、苦労させたと、思っているようです。
この伝言には、「そういう時代に育ったから、北朝鮮に拉致されたとして、厳しい生活をしていたとしても、その経験のお陰できっとお兄ちゃんは生きているよ。私だったら、耐えられないかも知れないけど。」と答えます。「だからお母さんは、ゆったり生活して、少しでも長生きして、お兄ちゃんに会えるようにしてね。」と。

母同様に父も年々体の不調を訴える事が増えています。両親が元気なうちに、再会させてあげたい。どうなったのか訳のわからないまま、そのストレスに蝕まれて再会できず亡くなってしまうことはどうしても避けたいのです。

まもなく、兄が失踪してから29回目の7月30日がやって来ます。数年前には、兄の命日とされていた日です。近づくその日に一刻も早い全容解明を祈ります。(6カ国協議が拉致解決に繋がる事も。)








posted by KONA at 12:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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