2007年05月08日

ある日のTDL

ゴールデンウィークの真っ只中の事です。
KONAがよく出没する舞浜、TDLで、歩いていたカップルの男性に釘付けになりました。
彼女らしき女性と手をつなぎ、20代と思われます。
ウェストポーチを背中に斜めに背負っていたのですが、そのバックに、ストレートのブルーリボンがなびいていました。

数え切れないほど、舞浜に遊びに来ていますが、自分以外の人が、この楽園で、悲しみのブルーを付けているのを見るのは、初めての事でした。

よほど声をお掛けして、その心を伺い、お礼を言い、後姿を撮影したかったのですが、幸せな時間を邪魔しては、申し訳ないと諦め、背中で頑張っているリボンに心でお礼を言ったのでした・・・。
posted by KONA at 17:28| Comment(0) | TrackBack(0) | こんな事でもコナボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月22日

誕生

9月6日に天皇家に親王「悠仁」さまが誕生され、20日には、安部自民党総裁が誕生し、翌日21日は実際に安部総裁のお誕生日だったとか・・・。麻生外相が総裁になっていても、お誕生日が20日だったそうです。ここしばらくの日本は、おとめ座の男性が力を発揮する時期なんでしょうか(ね・くちなし様)。

そして26日には注目の新政権誕生となります。
KONAとしては、拉致事件・北朝鮮問題解決へ向けて、前政権でやり残してしまった事を、お願いすると共に、これからも自分で出来る事でバックアップし、ここをご覧の皆さんや、まだ知らない皆さんへも、「拉致事件解決せよ」との意思を、今後も強く発信していただく事を、お願いして行きたいと思います。

本番はこれからです。皆さん安心して気を抜かず、これまでも続けて来た国民の声を、もう一度本気で上げる時が来ていると感じます。「期待」する前に応援し、参加すること、安部政権を動かしやすいように支える事が、解決のためなると思います。

7/25の記事http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/21368427.html
でもお話しましたが、KONAは9月末に誕生日、二日後に母が、三日後にフィアンセが誕生日です。
もちろん10月31日には、兄・清文が、50歳節目の誕生日を迎えます。他に『蒼明』の作曲者ゆうまさんなど、大切な人たちの誕生日が目白押しです。(該当者の皆さんお誕生日おめでとうございます。あなたに会えたことに感謝しています。)

この時期26日に発足する新政権にとって、兄が拉致だとして、帰国した後、「母国、日本は美しい」と言える様な、強くて清らかな「美しい国」の誕生日に、将来なっている事を願わずにはいられません。

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2006年09月19日

これは戦争だ・・・。

今年も「9.17」が過ぎ、北朝鮮が拉致というテロを認めて4年が過ぎてしまいました。
またこの時期、皆さんも、アメリカの同時多発テロ「9.11」を、思い出さずにはいられないと思います。
9月中旬は、忘れてはならないテロの脅威が色濃い季節となってしまいました。

今年は、「拉致事件」も、「9.11」も再現ドラマや映画化が進んでいます。
「9.11」は一年前に、ドキュメント映像が放送されたことを記憶しています。
2001年9月、あれから5年が経ち、当時の事を冷静に見つめなおし、その後の世界の動きを思い返してみる事ができる時期になったのでしょう。
今年の9月11日に放送された再現ドラマ(?)は、タワーから逃げる人々に、救助活動中の消防官が、連絡を受け、ペンタゴン(国防省)も攻撃された事を告げ、「これは戦争だ!!」と叫ぶのです。
アルカイダによる自爆的な、直接破壊も、金政権による、長時間、真綿で首を絞めるような、虐待的破壊も、テロであり戦争であるのだと思いました。

どんな違いか・・・日本人が気が付きにくい方法です。
ナイフを持って来て、直接刺殺すれば、警察も世間もすぐに殺人事件で犯人と特定するでしょう。しかし、日本で犯罪に気が付きにくく、根の深い、ストーカーや、いじめ(自殺他殺)、に似た、周りをベールで覆い、テロと気が付かせない。同じような違いを感じています。平和ボケしている日本には、特に有効だった事でしょう。

金政権による拉致はそんなテロ行為なのです。
拉致はテロです。そしてテロは、戦争の一つの形だと、「9.11」は教えてくれます。

直実の戦争を避けるため、もっと「知将」日本人の皆さんの力を貸してください。
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2006年08月23日

ハンカチ王子

このブログ、勝手に夏休みしていました。と言うのも、8/8日に38.5℃の熱を出してしまい、鎌倉のパネル展直前まで、ぐったりしてしまいました。8・9・10日の更新は実は書き溜めていた文書を掲載して、しのいでいたのでした・・・。

さて、昨日母に電話をしたところ、KONAと一緒で、野球に興味は無いものの、なぜか夏の甲子園、決勝が面白くて、つい見てしまったと言います。
優勝投手となった、早実の斎藤佑樹投手。ハンドタオルで汗をぬぐう姿から、「ハンカチ王子」なんて呼ばれているようですが、そのタオルが、母には調査会の短波放送「しおかぜ」支援グッズのハンドタオルに、似ているように見えて、気になったそうです。

先月、実家に帰省した際に、母にはハンドタオルを、父にはマフラータオルをプレゼントしたのですが、濃淡も色合いもとても感じが似ているように見えたそうです。

短波放送しおかぜ支援グッズは、調査会で購入できます。
http://www.chosa-kai.jp/hanbai.html
家族の声を、世界の情報を ― 拉致被害者に、北朝鮮人民に届けるため、購入、カンパへ、是非ご協力下さい。


今回の甲子園では、八重山商工に二回戦で退廃した、長野代表「松代高校」も、保護者やベンチ入りしない選手が、「ブルーリボン」をつけて応援したそうです。
http://www.asahi.com/sports/bb/TKY200608090078.html
http://www2.asahi.com/koshien/88/chihou/nagano/news/TKY200607310388.html

KONAも松代の2試合ぐらいは、見れば良かった?!

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2006年08月10日

切ない迷惑メール

迷惑メールは、もちろん、迷惑メールフィルターに選別されているし、タイトルだけ見て、即消しなのですが、女性の名前のタイトルは、自分と同じ名前だったりすると腹立たしいものです。
しかし、最近届いた迷惑メールは、切なくなるものでした。

FROM メグミ
件名 まだ待ってるよ〜

この送信者は、当然、拉致事件なんか目にも入らず、詐欺でぼろ儲けしようと言う皆さんでしょうから、配慮しろって言ってもそれは無理なお話でしょうが・・・。KONAは一瞬目が点になってしまいました。(・・;)
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2006年07月27日

兄が先か、結婚が先か・・・(-_-)

7月15日実家、長野に帰り、両親・真ん中の兄夫婦に、彼との結婚の許しをもらいました。『フィアンセ』と言ってよいのでしょうか?
清文お兄ちゃんに紹介して、一緒に祝福してもらいたいのですが、可能かどうか・・・?

ここ数ヶ月、集会・講演会の度に、荷物運びや、来賓の応対のボランティア協力をしてくれた彼。
実家に挨拶に行く前に、とうとう(?)「集会に参加したりするの、しばらく半分ぐらいにできない?」と聞かれてしまいました。
まるで「私と仕事どっちが大事なの?!」って女性がよく言う、有名なせりふを言われているみたいで、申し訳ないのに、笑ってしまいそうになりました。

中身を確認すると、あまりに忙しいKONAの体調を心配してくれたのと、同居するための、借家探しができないので、気にしているようです。
「拉致イベントに参加するのは、同居してからにして、とりあえず、結婚できる準備をしない?」と言うのですが、兄にも祝ってもらいたい気持ちが優先するKONAには、まず拉致事件の早期解決に尽力したいのが本音です。
こんな事が、永遠と続いていいわけがありません。一刻も早く再会するためにも、解決を訴えたいのです。

先に結婚するならば、「家事もしないといけないし」と言うと、「そういう時には、別にコンビニ弁当でも、カップラーメンでもいいから。」と、とてもありがたいお言葉ですが、それじゃあ体に悪いし、面子もありますし、自信ないです・・・(^_^;)

解決を待って、結婚か。結婚をして、解決に尽力するか・・・悩みます。

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2006年07月21日

ウルトラダラー

活字を読むのが苦手なKONAが、久しぶりに読んだ、手嶋龍一さん著作の「ウルトラダラー」

表紙.jpg


「限りなく事実に近い小説」と言う事で、最近、調査会真鍋さんが、東京近郊の拉致被害者が、列島を横断する、「大町ルート」のみならず、東京湾付近に現れた、国籍不明の船舶によっても拉致され、北朝鮮へ連れて行かれた可能性を示す文章として、もちろん兄・清文の拉致の可能性をその中に秘めて、講演で引用する事が多いため、頑張って読みました。

不明船.jpg


主人公が、親元を離れて東京下町から失踪した、若い印刷技術者達の、残された家族の気持ちを、思いやるシーンに涙してしまいました。

廃刊になっていると思われますが、水上勉著「砂の紋章」を、古本屋で探し読んだのも、三年前に神津島に行き、千両池を見たとき、小説にでてくる地形に似ていると、調査会専務理事・真鍋さんが指摘したからです。

KONAと逆に活字大好きだった、母。
今回の「ウルトラダラー」も読み終わったら持って行って貸してあげようと思っていたのですが、最近は、全部読むのに疲れてしまうと言うので、あまり長い文章のものは、持って帰らないようにしています。

この母が、嫌な思いをしたまま、この世を去らないように、どうかどうか一刻も早く拉致事件が解決し、願わくば兄が無事帰ってくるように、強く強く願いながら、怒りと悲しみと共に、この本も読みました。

posted by KONA at 12:24| Comment(0) | TrackBack(0) | こんな事でもコナボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月23日

二次トーナメント出場ならず!!

ワールドカップ記事が続きますが、やっぱり、一次リーグ突破はなりませんでしたね(T_T)

何より、オーストラリアに負けたのが、悔しかった。監督が2002の時に韓国チームの監督だったヒディングさんだったから、余計悔しかった。

オーストラリア戦がトーナメントだったら、そこで終わっていたと、考えれば、やっぱり一試合、一試合を確実に勝ち進めるのが理想なのでしょうけれど。

そして日本はジーコさんが監督で、ブラジル選手も、神様のチームにもう少し強くあって欲しかったのではないかと思います。
KONAもジーコ監督が、丘に上がった河童と言われないように、勝利を願っていました。

選手交代のタイミングが難しく、いつもイマイチな感じになってしまいましたが、とてもお疲れに、なったのではないかと思います。ゆっくり休んでいただきたい、と願います。

今朝は、6時にTVを見て、渋谷の若者のお疲れ様盛り上がりに参加したくなってしまいました。

日本代表を応援した日本人の皆さん。同じ日本人の拉致被害者を救うため、今日の応援パワーを、民意として貸してください。

ワールドカップの行われた、2006年中に全被害者が帰って来るように!!
2006年がワールドカップと拉致事件解決イヤーとなるように!!
posted by KONA at 13:30| Comment(0) | TrackBack(0) | こんな事でもコナボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月15日

ランヤード

KONAは主にディズニー・サッカーをメインに、ピンバッチをコレクションしています。

サッカーピンA面.jpg


サッカーピンB面.jpg


以前東京ディズニーリゾートで、〈ピントレード〉と言う、ピンバッチの物々交換イベントがあって、〈ランヤード〉と呼ばれるネックストラップにピンを付けて、見せ合いながら交換していて集めました。
拉致問題に取り組み、収集は減りましたが、拉致問題で、ブルーリボンのピンバッチが数種類あることから、調査会のネックストラップを〈ランヤード〉に見立てて、ぶら下げて歩いています。

ランヤード.jpg


一番下2点
ブッシュ大統領も付けた、言わずと知れた、東京救う会のピンバッチ
http://www.sukuukai.jp/blueribbon.html

向かって右、中段丸いもの
古川了子さんを救う会のピンバッチ
http://2.furukawanoriko.michikusa.jp/

左の中段
長野救う会のピンバッチ(長野の救う会会員章?)

左の最上段
R−NETの旧ピンバッチ(現在取り扱いなし)

右の最上段
R−NETのピンバッチ(現在在庫なしのようです。)
http://www.rnet.gr.jp/webform4/index.htm
です。

KONAの知りうる限りの拉致関係のピンバッチ達、いつになったら、ただのコレクションになるのでしょうか?
posted by KONA at 11:55| Comment(0) | TrackBack(0) | こんな事でもコナボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月08日

がんばれニッポン!!

FIFAワールドカップ2006いよいよ明日開催!!ずーっと買わずにいた日本代表のタオルを、どのデザインにしようか散々迷った上に、日本国旗が両端に入り、真ん中にJFAのエンブレムのはいったものにやっと決めて、購入しました(^_^)v

タオル&フラッグ.jpg


そして、数年前から集めているユニフォームのピンバッチに、日本の国旗とおそろいになるので、JAFエンブレムのミニ旗(ブラジルも持ってまーす)の3点を購入しました。

野球はあんまり好きでないので、これだけ「ニッポん〜〜〜」っと気合が入るのは、サッカーワールドカップが一番ですね。
コカコーラのチップも日本・ブラジル・韓国は押さえましたし、KIRIN「NUDA」に付いていたので、日本代表応援ストラップも集めちゃいました。生茶では勝ちパンダが付いていますね。

飲料おまけ.jpg


NUDAのペットボトルのデザインは、缶バッチにも利用しました。
あおいのママさんのブログで紹介してもらいました。
http://aoinomama13.seesaa.net/article/18732786.html

ミッキーのストラップは即買いでした。

ミッキーストラップ.jpg


ミッキーマウスはじめ、
http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/13681124.html
2002年に集めた我が家の選手団も健在です。アメリカ生まれのキャラクターが日本代表ってのも変な気分ですが・・・。

キャラブルース.jpg


KONAの歴代応援選手は、ラモスさん(ブラジルつながり)、ゴン中山さん(あの不屈のファイトが好き)、森岡さん(accessHIROの友人)、宮本さん(フェイスガード萌え〜)、中村さん(4年前は悔しかった)、三都主さん(カルロスの話し方に似てる)、巻さん(今の職場が古河電工系)です。もちろん皆さんの日本を背負って、サッカーしている姿が一番いいのですが。

フェイスガードと言えば、2004決勝戦の日、赤レンガ倉庫の期間限定サッカーパーク(今回もできましたね)で、宮本さんのなんちゃってフェイスガードをもらいました。




しかも偶然居た当時の監督トルシエさんと握手する事ができました。横浜駅ではブラジルサポーターが盛り上がっているのを一緒に楽しみました。懐かしいです。

日本でもワールドカップが開催され、とても盛り上がった事、いつか兄に話せるかなぁ?

がんばれ日本(政治も外交も)!(^^)!
posted by KONA at 09:09| Comment(0) | TrackBack(0) | こんな事でもコナボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月26日

短歌の里・・・でも俳句

KONA及び、兄・清文の通った小学校は、歌人に縁の深い学校です。

校長室の掃除当番の時などには、歴代校長先生の写真に、斎藤茂吉・中村憲吉と歌集「アララギ」を歌壇の中核に高めた「島木赤彦」先生の写真がありました。
また、島崎藤村に傾倒した「太田水穂」や、「若山牧水」の奥さんで同じく歌人の「若山喜志子」の出身地でもあります。とても誇りに思っています。

小学校の校庭は松林に囲まれ、多くの歌碑が立っていました。
中でもメロディがついて、第二校歌とされていた短歌が、強く記憶に残っています。

命ひとつ露にまみれて野をぞゆく
はてなきものを追ふごとくにも
水穂


KONAが卒業してからですが、小学校に隣接して、短歌記念館ができました。

http://www.openspc2.org/tanka/

歌人・作詞家など、日本語文化に長け、優れた教員・教師の居た長野。教育県と呼ばれ、いつのまにか、日教組(チュチェ研)に犯されていったのでしょうか?

現文部科学大臣「小坂憲次」衆議院議員は、長野1区の自由民主党議員ですが、2004年頃、衆参両院に拉致特別委員会を作る際に国対委員長、中川秀直と共に、反対。小坂憲次に至っては「絶対反対」を叫んだそうです。

爽やかな松風を思い出すとき、兄も遊び運動したであろう校庭を思い浮かべると、とても複雑な、やりきれない思いに駆られます。

KONA作成の短歌を・・・と思いきや、俳句(川柳)?でした・・・(^_^;)


兄奪還 資料作れば スキルアップ

拉致事件 理解できたら戦闘中


皆さんも、拉致問題をテーマにした、短歌や俳句、川柳が思い浮かんだら、是非コメントに書いて行ってください。
posted by KONA at 14:01| Comment(0) | TrackBack(3) | こんな事でもコナボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月24日

RPGなら二重、三重の壁

KONAの高校生の時の親友は、20歳で一緒に上京し、4年間同居しましたが、家に居るときは、ほとんどTVゲームをしていました。離婚後亡くなった、3歳年上の元旦那も、当時のゲーム機を全部持っているぐらいのTVゲーム好きでした。

しかし、KONAは、TVゲーム世代でありながら、ほとんど興味がありません。

言い方が悪いかもしれませんが、人生がゲームのように入り組んでいて、それ以上のゲームをすることは、遊びではなく、苦痛でしかない事もあります。まあ、PCだって、苦手だと思っているぐらいですから、ゲームクリアなんてしたことがないのが、一番の原因かもしれませんが。

会社の仕事は、《締め切りきっちり守りましょうゲーム》だったり、《Officeソフト使い方探索ゲーム》と言う感覚です。

そういった観点から見てもらうと、一番大きな人生の運命のRPGと言えるのは、現在の取り組んでいる、拉致問題と捉えることができます。

もちろん、倒さなければならない一番の敵は、金政権となるでしょう。しかしそこに辿り着くまでに、拉致であると言う鍵を探し、本来味方でなければならないはずの、日本政府という壁を崩し、味方の顔した国内の敵を振り払い、反日で敵対してくる韓国中国を丸め込み、米国・欧州を人権で冒険の仲間にして、戦いに行かなければならない、と言ったストーリーでしょうか?

そんな中、家族のLifeはどんどん減っていっています。

ハリウッドのファンタジー映画(KONAは、ナルニアとロードが好きです。)のRPG版より面白いのができるかもしれませんよ・・・。

興味のあるゲームプログラマーの方、作ってみませんか?

posted by KONA at 10:19| Comment(0) | TrackBack(0) | こんな事でもコナボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月23日

許せない麻薬・偽タバコ

高野家の父は、日本たばこのOBです。タバコ農家の指導者をしていました。退職後は禁煙していますが、喫煙していたのはマイルドセブンでした。
喉を痛めるし、タバコを吸う人は嫌!!と思っていたものの、現在付き合ってる男性も、マイルドセブン・・・とほほ。

とは言え、KONAは愛煙家の皆さんによって、育ったようなもの。
小さいときタバコ農家に手伝いに行く両親付いていって、小学生の後半は、タバコの葉を、荒縄に挟む作業を、ちょっと手伝っていたように記憶しています。兄もタバコ農家に付いて行った事はあるようです。

荒縄に挟んだタバコの葉を、沢山の暖簾のように、ハウス内に干して、乾燥させ、タバコ製造工場へ出荷するためです。
タバコの葉の乾燥した匂いを思い出します。

何の作物でもそうですが、生産物の品質を維持するための、農家の努力は、想像以上のものです。そうやって良質の物を作って、愛煙家の皆さんに購入していただいているのに!!

読売ウィークリー2006年4月30日号(4/17発売)http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/archive/06_4_30yw_moku.htm
にあるように、金政権の新たな資金源として、「マイルドセブン」や「セブンスター」の偽物がアジア各地に出回っているというではないですか!!
4/15の東京新聞でも同様の記事が出ている模様
電脳補完録→http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=5094
東京新聞→http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20060515/mng_____sya_____011.shtml

日本国内では流通管理が厳しいため、海外での人気銘柄をという事らしいです。
常飲している方には、すぐにわかる粗悪品だとか。
KONAは、日本製の品質価値を落とし、容易に外貨を得る、テロ行為と捕らえます。
「緩やかなテロ」http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/12528985.html
麻薬がやりにくくなったから、という話も出ていますが、若い世代を蝕み、やくざ社会を潤し、日本社会を地に落とす。
麻薬も、人事ではなく、薬物中毒になった人の苦しみは、家族・友人を巻き込み、今後一生続くのです。
手を出す弱さを非難する声もあるでしょうが、多くの犯罪が、人(国家)の弱さに付け込んで、行われるものだと思います。
避難の多くは、麻薬を流出している金政権・やくざ社会といった、犯罪者側に向けられるべきでしょう。

麻薬も偽タバコも、そして何より拉致が、許される事はありません。

posted by KONA at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | こんな事でもコナボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月19日

蒼き流星

KONAは「ガンダム」がライバルの、'85年10月~'86年6月にかけてNTV系で放映された、名作SFロボットアニメ、「蒼き流星SPTレイズナー」にはまっていました。
当時ビデオに録り方が良く判らなかったので、近年の、懐かしのアニメDVD化の波に漏れず、この「レイズナー」にDVDで、再会する事ができました。

レイズナー.jpg


失踪した宇宙飛行士の地球人と、辿り着いたグラドス星人の間に生まれた、主人公エイジ。
グラドス軍の地球侵略を知った父は、息子エイジに危機を救うべく、地球に向かわせる。火星に進出していたベースに来た子供たちと、何とか理解しあい、共にグラドス軍と、戦うが、一時その支配下に置かれてしまう。
エイジと数名の仲間は地下にもぐり、レジスタンスとして戦い、最終的にエイジの姉・ジュリアは地球に残っていた、時空変換装置を作動させ、グラドス-地球間の時空を遮断。
グラドス軍に潜っていた、仲間の活躍によって、グラドス軍の支配から逃れる。その後エイジは、グラドスに戻る事のできなかった、グラドス人の為に働いたという・・・。
BOX2の購入がまだで、最後の記憶が曖昧なのですが・・・。

最近、このアニメを思い出す度に思うこと、今は兄救出の為に、金政権崩壊へ向けて尽力していますが、いずれ朝鮮半島と、日本の良い関係の為に役に立てればいいなという事。
戦って、こちらの状況改善した後のフォローをできるかどうか。エイジの姿勢を見習いたいものです。
ましてKONAはお祖父ちゃんが北朝鮮の土に還っていますから、お墓まいり(お墓は残ってないと思いますが・・・。)に正常な国家となった北朝鮮の土地に、行きたいと思ってます。
帰国する母の手に、焼き米を渡して命を繋いでくれた、私や兄にとっても恩人と言える、やさしい朝鮮人民は、その子孫は、今どうしているでしょう。
最悪の圧政から救い、復興と両国の良い関係を作ってゆく手伝をして行ければいいなと、思うのです。

その時兄は何をするでしょう?

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2006年05月03日

そこに癒しはあるのか?

4月中、TV番組は番組編成の交換時期にあたり、特集番組が多かったと思います。
その中で東京大震災を想定した、報道ドラマがありました。どうやって生き残るかと言うテーマの他に

「愛する人の安否がわからないという、不安と恐怖」が、どれほど心を占めて、精神を病むか、に重きを置いて構成されていました。

その一つの解決策として、
NTTの災害用伝言ダイヤル(171)http://www.ntt-east.co.jp/saigai/voice171/index.html を広報していました。
KONAも前職が大手通信会社だったため、
DoCoMoのiモード災害用伝言板http://www.nttdocomo.co.jp/info/disaster/index.html などをお勧めします。

そして、福知山の電車脱線事故から一年後のこの時期、再現ドラマも放映され、あの事故のときに、

「愛する人の安否がわからないという、不安と恐怖」

を、家族がどれほど味わったか、改めて思いを馳せ、身に染みる桜の時期です。

必死に探し、安否を確認する姿は、KONAの両親も同じで、もちろん他の拉致被害者家族、拉致なのか判らなくても、失踪者のいる家族はどこも同じです。
ただ違うのは、必死に探し、安否を確認する作業が現在進行中で、「愛する人の安否がわからないという、不安と恐怖」がいつまでも変わらず続いている事です。いっそ死んでいるとはっきりした方が楽だ、と思う気持ちも浮かんできたりするでしょう。

また、同じくこの時期、どうしても見てしまうのが、超能力による事件解決番組。
とても印象に残るのが、真実を知りたいという気持ちに答える、ということだけでは無く、判明した事実に対し、傷ついた気持ちを癒し、真実を受け入れ、悲しみを乗り越える事のできる心の救いを与えるということ。

ある失踪者のお母さんに、超能力者が最悪の判断を告げます。ただし、警察や行政と違うのは、被害者の魂の現在の心境や、「私も母親だから貴女の苦しい気持ちを助けたいの。」「〜頃見つかるから、もう少し辛抱してください。」という、『癒し』の行い。
この『癒され、心が救われる』事は、被害者の心理を含め、真実が知りたい家族に、単に「事件の詳細はこう、被害者はこうでした。」と伝えるだけの行為では、気持ちの整理がつかず、納得行かない事で、その意味の違いがわかると思います。

今後拉致事件では、
*「被害者が加害者」
先に拉致された被害者が、自分の経験から、こんな人材はこんな所に居る。もっと具体的に、〜さんが適任と、対象者を指定してしまう。工作員教育され、よど号グループのように北朝鮮国外で拉致の実行をする。
そうして後から拉致されたら、本人、家族、日本国民は情報提供した相手を許せるか・・・。
圧制の金政権下の犯罪幇助として、許して行かなくてはいけないでしょう。他の偽札や兵器開発、麻薬製造の犯罪幇助者と共に。

*「救出に時差が出たとき」
現状で脱北し助かる人、金政権下何らかの救出作戦で助けて貰える人、金政権崩壊による作戦で救出して貰える人。これらは拉致被害者のほんの一部になると思われます。
KONAの兄を含めた多くの被害者は混乱の中、自力で脱出を図る事でしょう。初期段階で救出された人だけ見て、拉致事件は解決したと、終結したと、その時点で帰国できなかった被害者家族を、「拉致ではないじゃないか」と、責めるようなことはしないで下さい。
中には本当に拉致被害者でありながら、それを証明できない状況の被害者も、出てきてしまうと思います。戦後の混乱をご存知の方は、ご理解頂けると思います。

*「行政の対応」
そうして五月雨式に逃げ帰って、徐々に増えてゆく拉致被害者を見て、政府は始めの帰還者と同等に全員の援護をしてくれるのでしょうか?珍しい人数のうちは良いのですが、珍しくもないぐらいの人数が帰ってきますよ・・・。
現状そんなに被害者が居ると想定されていない、したくない動きが感じられます。

*「救いのない結果への癒し」
家族は生きていると信じ、また信じる事で、救出活動へ気持ちを奮い立たせています。
しかし、拉致される時抵抗して、北朝鮮の地で反発し、強制収容所で、飢餓で、怪我で、病気で、亡くなっているかもしれない、と心のどこかで覚悟しながら日々救出を訴えています。
もし、本当に拉致にもかかわらず帰って来られなかった被害者家族は、二重苦、三重苦となります。その心をどうやって救い、支え、癒していくか、KONAは今から考えてしまいます。
救出する対象が、肉体だけでなく精神も・・・というのであれば、家族も助けなければならない対象となるでしょう。

皆さんに、ここまで考えて救出運動を展開して行って欲しいと切望するものです。
金政権の大きな動き後の未来まで、どうか賢明に見守ってくださいm(__)m


さて、電脳補完録さんの特定失踪者ページがいつの間にか、スペシャルページとなっていました。

http://trycomp.org/blog/

失踪者ごとにニュースを見られるようになっています。
拉致被害者が大勢いる事がだんだん明らかになってくる中、このページがメインになる日も遠くないように思います。
注目してください。
posted by KONA at 18:21| Comment(0) | TrackBack(0) | こんな事でもコナボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月03日

節分ですね・・・(^_^)

金政権が世界から追放され、拉致被害者が全員帰ってくるように、
「金キムは外!!被害者は内!!」
posted by KONA at 14:59| Comment(0) | TrackBack(0) | こんな事でもコナボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月09日

心の痛み(失恋と拉致)

先週の金曜日、二年付き合っている男性の様子がおかしかったので、問い詰めたら、他に気になる女性ができ、別れ話をしようか悩んで、おかしかった事が判明しました。
子供嫌いのKONAに、初めて「この人の子供だったら産んで育てても良いかも」と思わせた、大切な人です。振られて初めてその人を本当に愛していた事に気が付きました。
そういった意味で、KONAの人生を左右する激動の一週間でした。

このどうしようもなく死んでしまいたいと思うぐらい、悲しい気持ち、拉致の被害に合い、連れ去られた人達、兄が拉致されていたとしたら、今のKONAの何百何千倍の悲しみと絶望感と共に、失踪した日から今までを過ごして来た事でしょう。死にたいと思う事もあったでしょうが、それさえ許されない、すざまじい環境の中、それでも愛する家族の元に帰るため、最悪の中で最善を尽くして生きている。そんな気持ちを考えると、兄を救い出したいKONAがこれしきの事でへこたれられないと思うのです。

韓国俳優シン・ヒョンジュンを好きになったのも、ディズニーシーのアトラクションでシンドバットが好きなのも、彼に似ていたから。

振られた金曜深夜から、生活ががらっと変わってしまいました。生まれて初めて食べる事を忘れ、四年間程片付ける事のできなかった部屋を片付け(続行中)、顔で笑って心で泣いて…。
嫌いで別れる訳ではなく、今後も友達として付き合うと言う彼。よく聞けば相手の女性も付き合っている彼氏が居るとか…。その後の話の中でも、帰って来そうな要素が沢山あり、KONAは彼を人生最後の男性として待つ事にし、必ず帰ってくると信じて前向きに、自分を磨いて、待っていることに決めました。いつか、兄が帰ってきたとき、私の幸せを願っているであろう兄に、その姿を見せる事が出来るように、今は彼と兄を取り戻すため、日々自分と戦っているKONAです。

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2005年08月15日

母の終戦

KONAが拉致問題について話す時、同時に話さなくてはならない事があります。金政権による人権侵害と言う、同じ根源の問題として、北朝鮮の地で圧政によって苦しめられている、北朝鮮人民の人権についてです。

まず、説明しておきたいのは、なるべく、『北朝鮮』と『金政権』と言う風に言葉を使い分けるようにしていることです。
北朝鮮が悪いと言ってしまうと、配給の食糧もなく、飢餓に苦しむ人々、強制収容所利用の恐怖政治によって仕方なく、命令に従っている(拉致被害者かもしれない)人々まで、「北朝鮮が悪い」という言葉で、金政権の悪政と一緒にされ、誤解されてしまうからです。
まだまだ、その辺の感覚がズレていて、『北朝鮮(人民に)人権を!!」というと、「金政権に人権を!!」と聞こえてしまう方がいらっしゃるようなので、KONAは使い分けに注意しています。

KONAの家族は、兄・清文の失踪が、北朝鮮による拉致かもしれないというだけではなく、奇遇にも母が、朝鮮半島からの引揚者であり、母方のおじいちゃんは、半島で病死し、あちらの土になっています。拉致問題によって、朝鮮半島について知識を得るまで、おじいちゃんのお墓参りに行けないこと、兄の墓に参るたびに、違和感を感じていました。

KONAの母は、昭和十年春、「朝鮮はいい所だ」と勧められ開拓に行った朝鮮半島(多分板門店付近ではないかと思われます)で、祖父母の間に四女一男の末っ子として誕生しました。(当時役所への届が遅れて戸籍上の誕生日は秋になっています)
物心ついた時には、祖父は離れで病の床につき、結核だったのか、母は近づく事が許されなかったと言います。
ある日、直前に人形が欲しいと駄々をこねた母は、家族が出かける際に、留守番をさせられたそうです。外で一人で遊んでいると、「ふみ〜ふみ〜」と祖父に呼ばれ、「お腹がすいたから、握り飯持ってきてくれ」と頼まれ、生まれて初めて一生懸命握ったおにぎり、5つを持っていくと、ピンポン玉大の小さなおにぎりを、一口で食べる祖父にビックリしたそうです。
生きている祖父の顔を見たのは、その一度きりで、母にとって、父親の一番の思い出だそうです。

そして母が6才、開城の日本人小学校の入学式から帰ると、祖父は亡くなっていたそうです。その時に、亡くなった祖父の顔を見たのが最後でした。祖母は女手一つで五人の子供を育てましたが、朝鮮に居た間は、一緒に働いていた朝鮮の皆さんに支えられ、日々平穏に暮らしていたそうです。当時の母には、現地の朝鮮の人より、サーベルを下げて歩く憲兵の方がおそろし
かったといいます。
そして母が十歳になる年、昭和20年に終戦となりました。母の姉達が、職場から泣きながら帰宅し、敗戦を知らせたそうです。畑仕事や、家事をしてくれていた、朝鮮の人達には、「かくまってあげるから、帰らないで」と言われましたが、外では、日本に勝ったと騒ぐ人も居て、女手一つの家族では恐ろしく、祖母は、日本に帰る決心をしたようです。
日本に帰る時、家事を手伝ってくれた、朝鮮人の人が、もち米の焼き米を、「そのままでもたべれるし、水につければ、ご飯みたいに食べられる」と、はぐれても困らないように、一人一人に持たしてくれました。(西村幸祐さんのブログ
http://nishimura-voice.seesaa.net/article/5550074.html
に紹介のある漫画「嫌韓流」でも主人公の祖父が、当時地元の朝鮮の人々と仲良くしていた様子を話すエピソードが出ていますが、母の話と同じだと思いました。)
夜中に、一番小さい母は、引き上げる人の人波に、はぐれてしまわないように、祖母に手を引かれて、開城まで歩き、貨物列車に押し込まれ、釜山で三日野宿して、下関に行く船に乗りました。
日本に帰る船の中、私と同じく好奇心旺盛な母は、一人で甲板に出たそうです。そこで目にしたのは、憲兵に「小さい子供は、敗戦した日本に連れて帰っても、育てられない。ここで海に捨てるように。」と言われ、自ら子供を投げ捨てられない親達が、憲兵にお金を払い、子供を海に投げ捨ててもらうといった光景でした。
「おかーさーん、おかーさーん」と泣き叫びながら、最後には髪の毛が、ぷかぷかと波間に消えて行く酷い光景を、鮮明に覚えているそうです。自分がもう少し小さかったら同じようになっていたかもと言う思いと共に。
無事下関に帰国した母は、祖父母の出身地である福島県に帰り付きました。

兄が拉致されていたとしたら、母は、なんと朝鮮半島に繋がりがある人なのでしょうか。今はお祖父ちゃんが兄を守っていてくれる事を祈りながら、お盆、終戦の日を迎えるKONAと母です。







posted by KONA at 11:30| Comment(0) | TrackBack(0) | こんな事でもコナボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月08日

サッカー

スペースシャトルは無事帰還できるのか?郵政→解散?六カ国協議の休会…など、激動の日々ですが、昨日はサッカー東アジア選手権、対韓国戦に勝利しましたね。中国戦、北朝鮮戦の敗北の後だったので、心配していましたが、やっぱり代表が勝つのは嬉しいですね。

KONAの失踪した兄・清文も、サッカーが好きでした。今も好きであってほしいですが。中学から高校の部活はサッカー部に在席しバックス(ディフェンダー)だったと聞きます。

歌もそうですが、まん中の兄もサッカー部でしたし、観る一方ですが、KONAもサッカーが好きで、三人そろってサッカー派です。
ドーハーの悲劇があまりに悲しくて、あれから大切な試合はリアルタイムで見ると負けそうな気がして、結果だけ見るようになりました。
兄の影響と同時に、高校の時ファンになったカルロス・トシキがブラジル日系3世で、ブラジルで盛んなサッカーが大好きな事にも影響がありました。

KONAの周りで拉致問題に取り組んで一緒に頑張ってくれている仲間には、比較的サッカーが好きな人が多いです。カルロスファンの仲間に、KONAの良き理解者が多いのも、サッカーを見ている影響があると思います。貧富の差が多い世界各国において、多くの国で競技され、国交のない国間の国際試合が可能なことから、サポーターによって国民性が見えたり、政治や歴史感情が移入されてしまう試合があったり、国際的フェアプレイ精神を考える機会があるからだと思います。
また、2002年の日韓共催W杯によって、スタジアムでの異様な実感と、スポーツまでも情報操作されてしまう報道に、極東アジアの不透明感、報道への不信感を高めたと聞きます。
詳しくは、西村幸祐さんの著書「反日の構造」をご覧になってみて下さい。(右のリンク先「電脳補完録」さんのBOOKにリンクあり)

世界に向け、開いていると錯覚していた目を少しこじ開けたのが、2002年のW杯で、ちゃんと開かせたのが、9.17で拉致が明らかになった時だと思います。しかしまだ、ちゃんと見えるようになるには、度の強い眼鏡が必要のようですが…。特に報道関係のカメラには…。

サッカーの好きだった兄・清文は、今、国際的なサッカーの試合をを観ることはできているのでしょうか?観ることができとしたら、どんなことを思っているのでしょうか…。
posted by KONA at 13:23| Comment(0) | TrackBack(1) | こんな事でもコナボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月23日

首相官邸監視業務

先週、KONAは嬉しい事と大変な事で余裕がありませんでした。嬉しかった事は、またの機会に記事にするとして、大変なのは、業務の引継ぎでした。
昨年11月に転職し、3ヵ月派遣で働き、2月から採用になったのですが、前任者は、なんでも自分の頭の中で行なってしまい、それはそれですごい記憶力なのですが、新人にも解りやすくしたり、部下に振り分けるのが苦手な性格のようでした。そんな彼女が退職した先週から、バタバタしてしまいました。
そして、思い出すのが、前職でお世話になった部長。彼も今年3月に退職しましたが、今だに連絡を取っています。
仕事における問題解決方法、解らない人に理解させるアプローチ方法などは、業務においても、相談に乗ってもらっていた拉致問題の講演内容や、資料作成においても、沢山教えてもらう事がありました。
昨年4月の「日本再生フォーラム」での講演内容(あおいのママさんがいつも心血を注いでテキスト化してくれます。)や

http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=140&no=14

右のリンクにもある、大町ルートの資料は

http://nyt.trycomp.com/takano/oroot.html

そうやって、部長の協力で、できたものです。

取締役とも、カラオケサークル仲間だった事から、電気通信業であるその会社の関係者で、電通大出身者に、情報を求める連絡を取ってもらいました。何も解らなかった2年前、どれ程有り難かったことか。

そんな折、隣の部の部長と拉致問題について雑談をしていると、「自分は三宅島の出身なんだ。」と、お話しがありました。50代の部長は20歳まで、三宅に住み、戦前の幼少期に浜で朝鮮人の子供と遊んでいたと・・・。当時は天草漁に海女さんや、漁師として働く在日の親が、島に子供をあずけていたので、一緒に遊んでいたと言う事でした。しかもその姿は、帰国政策の頃居なくなったと。もし、あの時、帰国しているならば、伊豆諸島はじめ、伊豆半島・房総半島の海岸線に詳しい者がかなり居るのではないか、との内容でした。聞いた直後に背筋の凍る思いで、調査会に報告したのは言うまでもありません。

また、会社を挙げて、調査会への寄付を募り、KONAのボーナス以上の成果を募金することができました。
その後、部長や取締役の計らいで、社内に失踪者のポスターや、兄失踪の状況説明データを貼りだすスペースを取ってもらい、昨年いっぱい掲示して頂きました。
残念ながらその資料は、連絡の不行き届きで、年末の大掃除の時、破棄されてしまったようです。

この職場、首相官邸の斜向かいで、KONAの座席から部長を見るとこんな感じでした。

官邸裏.jpg

叫べば聞こえそうな距離に首相がいたのですが、その手前に座っている人の方がどれほど頼りに見えた事でしょう!!

その会社には、約10年間勤めましたが、時代の流れから、いつしか技術者の採用しかなくなり、右肩上がりと行かなくなったのもあって、本採用を諦め、転職しました。10年間、色々ありましたが、いろんな人の助けで乗り越えてきました。特に部長。ありがとうございました。そしてこれからも、日本の大きな国際問題解決のため、相談に乗ってください。

そして、KONAは首相官邸監視業務を離れたのでした。
posted by KONA at 12:39| Comment(0) | TrackBack(1) | こんな事でもコナボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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