2011年12月19日

金正日の死亡<兄奪還の為に>

ちょっと複雑な心境です。
思ったより早く訪れた、金正日の死亡。
自分の高校生の時からの予感で、は今後半年から一年半の間に、兄と再会できると思っている手前、これから何が起こり、どうやって兄が帰ってくるのか、改めて現実の事として、考える時が来たようです。
今後の北朝鮮国内の動き、中国をはじめ、関係各国の動き、そして何より頼りにならない日本国政府の動きに注視し、言うべき事を言い、かけるべき圧力をかけて、兄が含まれているかも知れない拉致被害者の可能な限り安全な救出を、探って行かないといけないのでしょう。

拉致事件解決の為に、知恵のある方達は、お知恵をお貸しください。
そしてKONAを支えている、音楽とその音楽を愛する皆さん、継続的に更なる支えとして、KONAの心に寄り添って下さい。

自分は…兄奪還の為に…戦い続けます。
posted by KONA at 14:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致・特定失踪者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月31日

兄清文・55歳の誕生日

今日10/31は兄・清文の55歳の誕生日です。

非常に個人的ではありますが、兄の失踪日、7/30のブログを書いてから、KONA自身にいろんな事がありました。

脚がつった話は書きましたが、それを機会に糖尿病を疑い病院に行った所、見事に糖尿病と言われました。
薬を飲んで調整するほ程ではないとの事で、脚がつるくらいで教えてくれた自分の体に感謝しつつ、無意識に食べる余計な食品を控え、食事療法?で2か月半が過ぎ、体重も10Kg以上落とす事が出来ました。

その間に、心の拠り所としている以前にも紹介した事のある、ミュージシャンの一組access
http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/12837043.html
の関係の友人が沢山出来、その前にもアニメ特撮関係の素敵な友人が増え、音楽や歌う事でメンタルサポートが出来始めて来ました。

中でも強烈に不思議な出来事がありました。
パーティスペースで行われた、カラオケで、スーツの襟もとに調査会の短波放送『しおかぜ』支援の為のネックストラップらしき物を付けている方が居ました。
その時は盛り上がっていたので、後で確認したら、私が良く拉致解決の為の集会に参加している、埼玉の救う会関係の集会などで、以前ボランティアをされていた方で、面識ある方だったのです。
今後とも、拉致関係でのご協力、音楽関係で仲良くしてもらう事をお願いして、交流をしています。

また、ソーシャルネットワークサービスでは、数名のプロミュージシャンの方に仲良くさせて頂いていますが、今年の3/11の震災をきっかけに、復興や励ましの音楽を作られる方も多く、聞く度に私は拉致事件の現状に重ねて、悔しくなったり悲しくなったりしています。

本人にお話しできる機会もあり、その度に言葉で、音楽で励まされて、本当に音楽の力ってすごいと、重ね〃思う日々です。
プロ・アマ・カラオケ仲間の皆さん、今後とも共に歌い・奏でて頂ける事を改めてお願いいたします。

以前、超能力のあると言う方に、
「兄はこんなに太っていると、思っていない。」
http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/12643569.html
と言われた時に、42歳で再会できる(予感)時には太ってないぞ!!と思えた事、病気にはなりましたが、やっと現実に出来そうです。

こんな時代だからこそ、一気に動きそうな気もします。約2年の間に・・・。
posted by KONA at 15:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月30日

35年目の7月30日

また今年も、兄・清文の失踪した7月30日がやって来ました。
このブログの更新も、兄の失踪日7月30日と、兄の誕生日10月31日になっていますが、今年は歴史的大震災があったり、連動してか、松本でも大き目の地震が起きたり。
それをきっかけに思うところもあり、いくつかのお話は、機会があれば、別に書きたいと思います。

今朝母から、電話がありました。もちろん兄失踪から35年の日だったからですが・・・。
私が、先週金曜、右足に包丁を落としたり、その時傷をかばって変な歩き方をしていたせいか、昨晩、大腿部の筋肉が、内外両方攣ってしまい、左ももが済んだら、右ももにと、痛さで大騒ぎした話をして、心配させてしまいました。

でも怪我や病気も様子が解るだけで、双方安心なのだと思います。
今はただ、兄に無事で生きていて欲しい、両親の元気なうちに再会させたいと願うばかりです。

考えてみれば、今の私の年齢の頃に、両親は兄を行方不明にしているのだと。
私が同じ状況なら、どうしただろうと。

そして先程まで、週一で伺っている夫の実家に行っていました。
今日は兄が行方不明になった日だと話していたら、夫の妹さんの誕生日だと判明。
その妹さん今日で32歳。
お兄ちゃんの失踪から三年後に生まれた訳で・・・後々の指針になりそうです。
その妹さん今では二男児の母で、兄・清文に孫が居てもおかしくないだけの時間が経ったのだと実感しました。

高野家の父母からしたら、ひ孫になるわけで、そんな人生も有ったかも知れない両親を思うと切ないです。
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2010年10月31日

トリックorオッパ


10月23日の都庁前広場の集会には、沢山の参加、ご協力、お心を寄せていただきありがとうございました。

10月31日兄の誕生日・今日で54歳です。
19歳で拉致されたとすると、35年になるところです。

早くハッピーと言えるハロウィンを迎えられるようになりたい。

金政権に、「トリックorオッパ」と言いたい所です。
posted by KONA at 23:18| Comment(1) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月30日

今年も7/30がまいりました。

皆様ご無沙汰しております。
今年も7/30がまいりました。
兄が消えてから34年になります。
私は後2年2ヶ月後から3年3ヵ月の間に、兄と再会できるのでは・・・と思っています。
その為に今動くのが大切なのか、その時まで力を温存しておくべきなのか、選択に悩んでいる所です。

家族の近況をお知らせしますと、父は今年のお正月77歳になり、満で喜寿となりました。
天然の蔓や松ぼっくりなどで、リースを作っていたところから、アイディアで、松ぼっくりなどを組み合わせて、ミニクリスマスツリーやミニ松飾り、諏訪の御柱風飾りを作って、プレゼントしてくれました。
ただ寄る歳に、体調の優れない日も増え、かなり耳が遠くなり、電話で話すのにも不便な感じになってきました。

母は、昨年の脳血栓になった後、治療のお陰か、交通事故の後遺症も多少緩和され、気持ちも元気になったのか、編み物を再開しています。母にとっては編み物が一番気の安らぐ事のようで、体調を見ながら、時にちょっぴり無理をしながら、コツコツと編み進めています。

母の作品を調査会の寄付とするため、レンタルBOXにてネット販売もされていますので、宜しければご利用下さい。
http://kei-collection.co.jp/max_c/html/AA00_Blue_wish2.htm

日記の話が前後しますが、昨年のお盆に、両親の祖父母のお墓参りをした事を記しましたが、それがきっかけで、母が自分の先祖を尋ねたいと言い出し、便乗して父の兄弟が集まる事になり、9月に土湯温泉に一泊したそうです。
集まろうと言い出してくれたのは、父方の本家に嫁いだ伯母でした。
昨年お盆に祖父母の仏壇を拝みに伺った時に、17年ぶりぐらいに再会したのですが、つまみに枝豆を豪快に分けてくれました。「また数年のうちに伺いますね」と言って分かれたのですが・・・先日他界いたしました。

兄・清文にとっても、甥っ子がどうなったか解らないまま、伯母が亡くなった事になります。

金元工作員が来日し、特定失踪者に中の人で、見たことがあるかも知れない人がいる話を、飯塚耕一郎さんが口にされた時、拉致被害者に、曾我ひとみさんが居たときの衝撃と、似たようなものを感じました。

今日は、10/23に都庁広場で行なわれる、特定失踪者家族の集会のディスカッションが行なわれます。
特別な今日こそ参加したかったのですが、所用で参加できないのが残念です。
兄が消えた日、これからどうなるのか、どう動かしたら良いのか、更に思案の時が来ているようです。

私のスケジュールは日々たて込んでいて、ゲームのように面白く時間が過ぎて行きますが、北朝鮮に拉致された人々は、同じ時間をどうやって過ごして来たのでしょうか?
そしてその中に兄・清文は無事過ごしているのでしょうか?
posted by KONA at 16:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月31日

兄の誕生日は、ハロウィンだった。

今日、兄清文は、53歳の誕生日を迎えました。
今年まで全く意識していなかったのですが、10/31は、兄の誕生日と同時に、ハロウィンだったのですね。
私の趣味でもあるディズニーランドでは、十年ほど前から、ハロウィンをイベントととして、当初は1ヶ月程度、今では約2ヶ月間開催し、そのお陰で、秋になると妙に悲しくなる私の心は、秋を楽しく過ごせるようになりました。

宇宙から、夜に入った極東アジアを衛星写真で見ると、日本は海岸線が解るようにくっきりと明かりが灯るのに対し、北朝鮮は電力不足と設備不足の為か、黒く塗りつぶされたようになっているのを、何かのCMや雑誌で見たことがあると思います。
日の暮れるのがすっかり早くなるこの時期、そしてこれから厳冬を迎える北朝鮮で、拉致被害者は、長い夜に何を考え思っているのでしょう・・・。

さて、皆様にご心配をお掛けしました母ですが、皆さんの励ましと、最新薬である、血栓を溶かす静脈点滴が効いたようで、兄の誕生日前の29日に、無事退院する事ができました。
元凶である脳内部の動脈硬化の跡も今となっては不明となり、先生も驚いているそうですが、何時同じ事が起きてもおかしくないとも言えます。

経過観察となりますが、今後も、兄と再会できるよう、励まし、精神的に支えて頂ける様に、皆さまにお願いいたします。

母が無事だった、それが兄へのプレゼントかも知れません。
posted by KONA at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月19日

実母3度目の九死に一生

昨日夕刻、真ん中の兄から連絡があり、母が緊急入院しました。
元々頭痛もち(兄失踪のストレス性?)の母ですが、右後頭部の頭痛と、左手の痺れを感じ、急いで病院へ行ったそうです。
通常のCTでは異常が無く、MRIで軽度の脳梗塞の疑いが出たようです。
血栓を溶かす点滴は、昨晩から治療を開始し、今日は精密検査。
像血剤を使ったCT検査で、血栓の元となった、動脈硬化の状況を見るようです。
脳梗塞と言うと、発見時に死亡や、倒れてから、甚大な障害を残す状況を耳にするので、良く自分で気が付いて疑い、病院へ行ったと、驚くばかりです。
まだ詳しく解からないので、これから悪化するかも知れませんし、痺れが取れない可能性もあります。
大好きな母に、兄と元気で再会してもらいたいKONAは、とても心配です。

6年前の2003年子宮体癌のため、子宮摘出手術
2年前の2007年3月19日の交通事故
「大した事無く、生きていて良かった。」を参照下さい。
http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/36422622.html
に続く、三度目の九死に一生・・・。
本当に一刻も早く、兄と再会できるように、改めて、皆さんに協力をお願い致します<(_ _)>
お兄ちゃん・・・早く帰ってきて。
posted by KONA at 12:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月24日

お盆は、福島に行きました。

今年のお盆は、母方・父方両方の祖父母の墓参りに行けました。
夫とは、偶然知り合ったのですが、義父母の出身は、KONAの両親と同じ福島県です。
夫のお母さんの実家は、妹さんが継がれているので、夫も小さい頃から良く遊びに行き、結婚後もお盆には、そのおばさんの家にお世話になっています。
夫の今の父は養父ですが、やはり福島に本家があります。
実のお父さんは数年前に亡くなりましたが、坂之上田村磨縁の、福島県の守山城の家老を先祖に持つ、地元では有名な自然酒醸造元の家系の方です。
http://www.kinpou.co.jp/
一昨年、入籍してまもなくのお盆に、夫の実父の墓参りに伺ったら、直ぐ傍の郡山市の霊園が、母方の祖母が入っている霊園だと気が付きました。お世話になっているおばさんの家も、そちら家系のお墓からも、車で10数分の場所です。
昨年、墓所を確認に訪れたら、北朝鮮から引き上げてきた祖母と、北朝鮮で亡くなった祖父、兄が失踪した時、私の面倒を見てくれた、母の兄のおじさんまでが入っているのが解かり、夫と知り合った縁は、小さい時もたまにしか来なかった福島に毎年来るように、呼ばれたのかなぁ?と、感じてしまいます。
長男のおじさんが先に亡くなったので、お嫁に来た母の姉が、おばあちゃんを連れてきたのが、偶然郡山だったようで、郡山の墓地に入っているようです。
今年はきちんと、ご先祖供養と、兄と母を見守って、再会させてもらえるように、お参りしてきました。

ただ、調査会の真鍋さんがおっしゃっていた、「日本中、何処に行っても拉致事件から離れられない」と言う実感は、ここにもあります。
06.9.29記事「日本全国・365日」→http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/24617490.html
守山城跡の守山小学校から、1Kmほどの所に、福島朝鮮初中級学校があるのです・・・。

父と、北朝鮮から引き上げ後の母も、川俣の出身で、父方の実家のお墓は、川俣にあります。
05.8.15記事「母の終戦」→http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/5913619.html
先祖は二本松城の剣術師範だったとか・・・。KONAが剣に惹かれるのは、この為でしょうか?
そちらにも、父と兄を見守り、元気に再会できるように、お参りに行きました。
私達夫婦の縁、帰ってきたら、兄に話したい、出来事です。

最後に、川俣町の東、太平洋に面した、旧原町:現南相馬市で、坂上良則さんが、兄・清文が太平洋上の島から失踪して10日ほど後、33年前の8月10日、失踪されました。
調査会リスト→http://www.chosa-kai.jp/listkensaku.html
(検索欄に、1976と入力して検索してみてください。)
因果(あるいは意図?)を感じずにはいられません。

posted by KONA at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月30日

夏が来れば思い出す・・・・兄失踪から33年

夏が来れば思い出す
白砂浜 青い海
と替え歌したくなる、神津島は、風光明媚な島です。

兄・清文が、あの美しい南国の島から失踪して、33年になります。
海無し県、長野に育ったKONAにとって、思い出の海は、兄と泳いだ湘南ですが、心の海は、兄を隠した、恐ろしいほど美しい、神の島です。
高校生になったKOANは、オメガトライブを好きになりました。
夏休みに、両親と私の友人と出かけた神津島の砂浜で、1人オメガを聞きました。
好きな曲、それを再現したような景色・・・だけど悲しくてサングラスの中で、涙があふれることもありました。

兄が拉致だったとしたら、この天国のような島から、生き地獄の金政権下に、連れて行かれたことになります。

今朝、真ん中の兄から、「父が脊柱間狭窄症で、手術になるかも」とメールがあり、心配になり、早速電話して様子を聞きました。
元々膝が痛かったのに加え、足に痺れが出てきて、調べてもらったら、脊柱間狭窄症と言う事みたいです。
「死ぬことは無いから、心配するな」と言われましたが、兄と元気に再会してもらいたいKONAは、心配です。
努力家で、無理をしがちな父は、自宅の増設やリフォームを自力で行なったり、テニスも続けていたりします。
兄の捜索も、そうとう無理をしていたと思います。無事に改善されるのを祈ります。

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2009年02月22日

今夜「鉄腕DASH」で放送、神津島

ソーラーカーだん吉が、海岸線を一筆書きで日本一周する企画。

この番組はいつも何気なく見ていたのですが、良く考えたら、拉致現場になったであろう、海岸を、いくつも横目に巡る旅。そう考えると悲しいなぁと思っていた矢先、私の家族が、神津島に兄を捜しに行く際、主に使っていた下田から、この番組は一筆書きをしに、神津島に向かった様です。

以前私が、神津島に、拉致ではないかと探しに行った様子は、2005年9月5日に、こちらのブログに書きました。
http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/6579666.html

また、2005年8月31日テレビ朝日「Jチャン・迷宮の扉」で放送された、「シリーズ拉致疑惑」の様子は、壇君WHO's WHO内の
http://kamomiya.ddo.jp/Rachi.html
0番台リスト内で「WMV」ファイルで見る事が出来ます。

普通に遊びに行けば、花崗岩の砂浜は白く、海はこの上なく美しく、テーブル状の天上山は低山登山に適した、花の百名山であり、湧き水に、島特産の野菜に、新鮮な魚と、風光明媚な山海岸線で、とてもすばらしい島ですが、CMで見ていても、船でだんだん見えてくる島影は、私の中で、兄の墓標の様に見えてしまいます。

日本のこんな素敵な所で、拉致があったかも知れない。こちらをご覧の皆さんは、私と同じく、悔しい気持ちも感じながら見てくださると思います。
posted by KONA at 15:35| Comment(0) | TrackBack(1) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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