2008年12月25日

クリスマスなのでリースを紹介

兄の52歳の誕生日、10/31の更新もしないまま、今年も年末を迎えてしまいました。

今年も年越しは、兄を待つ両親と共に、長野でしたいと思っています。

もう一年以上前になってしまいましたが、2007/12/16に行なわれた『しおかぜの集い』で、参加者にブルーリボンを付けて貰ったリースを、クリスマスなので、今更ですが紹介したいと思います。

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ベースのリースは、父にお願いして作ってもらい、リボンを付けやすいように、私が追加加工しました。
数年前に母が、地域の講習会で、地元で取れる蔓や、木の実を使って作る、リースを習って来て、父が真似する内、母が具合悪くなったり、事故に遭ったりで、今では父の方が力を入れています。

そんな父に、『しおかぜの集い』で、リボンを付けて貰うからと、白いリースをオーダーしました。

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当日は兄・清文の展示物の前に、リースとリボンを一緒に置き、リボンを結んで頂くように、お願いしました。

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ちなみに展示の様子は、こんな感じでした。

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終わる頃には沢山のリボンを結んで頂きました。
今年もお願いしたのですが、サンタさんへの、兄の無事を知らせてくれるお願いは、聞いて貰えないままです。

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帰りに見かけた、江東区のコミュニティーバスの名前が、偶然『しおかぜ』でした(^^ゞhttp://www.city.koto.lg.jp/seikatsu/toshiseibi/communitybus/13116.html

このバス、潮見駅を起点に運行しているのですが、潮見駅と言えば今年、私や兄と同じ、長野県出身の女性が、同マンションの住人に殺害された事件は、記憶に新しい身近に感じた事件でした。

拉致も、もう無いとは言い切れない、解決していない事件です。国内のあらゆる事件犯罪と合わせて、皆様も身の回りに気をつけて、生活して下さい。

2008年09月19日

今朝見た夢(解決できない煩わしい問題)

KONAは、折りに触れ、各方面から誘われていたmixiに、先週登録しました。
趣味的な要素が多くなってはいますが、拉致事件解決を、より多角的に広げ、多趣味のKONAが、特定失踪者家族である事を、多くの方に身近に感じていただけるように展開して行ければと思います。
こちらをご覧の皆様で、mixiに参加されている方は、本名高野美幸や、ニックネームkonaknightで探してみてください。

そういった経緯で、mixi日記にぶつぶつ書き始めようと思ったのですが、内容が、拉致事件や、兄に絡める事ができる要因が少しでもあれば、こちらに書いて、mixiに通知しようと思った次第です。
これまでより、くだらない内容が多くなるかも知れませんが、よろしくお付き合い下さい。

KONAは、旅行や地図が好きなせいか、夢の中にパラレルワールドがあって、夢の中でも、神津島と全く別の、兄が失踪した場所があるぐらいです。
さて表題にあります、今朝見た夢ですが、ゴキちゃんが出てくる話なので、その辺が大丈夫な方は、読み進んでください。


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2008年07月31日

32年前の今日

32年前の今日、朝8時頃、神津島派出所から、兄・清文失踪の電話があり、対応した父の奇声で「なに〜!?」と言っているのと、電話口に立つ、そのシルエットを、KONAは今でも鮮明に覚えています。

失踪当時の様子は、三年前の2005/7/29の記事「明日、兄失踪から29年…」
http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/5448107.html
をご覧になって下さい。

ブログの更新を、ご無沙汰しておりました。
KONAの昨年11月からの様子(言い訳)ですが、
まず、失踪者ご家族の方で、話が合わず、折り合いが悪く、挨拶もしていただけない方が現れ、このブログに何か書こうとすると、その方の悪口を書いてしまいそうで、気持ちの整理がつくのに、時間がかかっています。
未だにその方は、会っても無視され、気持ちは晴れないままです。
原因は聞いていないのですが、しおかぜの集いの準備の際に、それ以前からも、年下に意見されるのが、面白くなかったのだろうと、思います。

また、昨年11月中旬からひいた風邪が、引越しして医者が合わないのか、1月中旬まで長引き、調子が悪いのを、飴や何か喉を通す事で、紛らわしながら仕事をしていたら、その間に6キロも太ってしまいました。
調子の悪い最中に、しおかぜの集いに参加し、お正月には1人で実家に帰りました。

調子が戻ってきた頃から、
友人がマルチに引っかかり、救出したものの、他の精神的に弱い友人とトラブルになり、仲裁したものの、離散。
職場の社長宛に電話を掛けてくる、エセ右翼を断る。
仕事上のトラブルが続く・・・(T_T)

落ち着くと思われたGWに、また風邪をひき、それでも無理をして、夫婦で長野に帰郷するものの、遊びがてら、のんびりしたいKONA夫婦と、帰ってきたら手伝って欲しい父の、思惑が合わず、また、帰る度具合の悪い事をとがめられ、声が出ないのに、大喧嘩。
父以上に頑固な旦那は、二度と行かないと申しております(T_T)

「しょうがないな」と様子を見ていた6月、5月末で退職となった義母(兄・清文の母ではないので冷静に読んでください)が、発熱食欲不振、嘔吐、尿の臭いが変だ、と病院へ行き検査すると、肺転移があるステージ4の腎臓癌だと・・・(T_T)

7/14に左腎臓の原発巣摘出手術を受け、手術は無事成功。
術後の経過が良いので、今週から、拡散転移していて摘出できない、肺の転移巣等を縮小、あるいは拡大させない、他所転移を増やさないために、抗がん剤が効かない腎臓原発癌なので、C型肝炎等に使う免疫療法剤のインターフェロンの投与を始めました。
副作用で、インフルエンザの様な症状が出るのですが、それも軽いみたいなので後は、奏効率約30%の薬が効き、5年生存率約20%に入る事を祈るばかりです。

摘出した腎臓を見せてもらいましたが、早期癌で発見された実母の子宮癌の「小さい玉状の目玉焼きの白身」の見た感じと違い、癌そのものが大きくなり過ぎて、内部に栄養がまわらず、壊死していて、黄色い塊の中心部がベージュに変色していました。
これが腫瘍毒を出し、熱が出て義母を苦しめたようです。

結婚相手の家族も大切にしていれば、きっと兄も帰って来て、実母にも親孝行、出来るような気がして、病院が職場に近い事も幸いして、毎日のように、お見舞いに行っています。

そんな矢先、大澤孝司さんのお父様が、お亡くなりになられたとの訃報。ご冥福をお祈りすると共に、天国から、孝司さんの無事帰国を見守っていてくれる事を願わずにいられません。

という訳で、KONAは、相変わらず忙しい日々を送っています。
嬉しい事もありましたが、又の機会にご報告いたします。

32年も経ってしまいました。過ぎてしまったことは仕方が無い。
最近ハマリ気味の、医療ドラマで
「負けたから終わりじゃない、諦めたら終わりなんだ」
と言う言葉に、母や義母の癌や、兄の救出について、思いを同じくする言葉でした。

今後とも長い目で、拉致事件解決に、ご協力下さい。
posted by KONA at 12:38| Comment(0) | TrackBack(1) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月01日

兄・清文 51歳

月末の諸事に終われ、12時を回ろうかと言う時間に、真ん中の兄から、メールがありました。
昨日10月31日、清文兄ちゃんは、51歳になりました。

出っ歯にならないようにと、前歯を押えるように、歯を上唇を手で押えたり、はげないようにと、頭皮をマッサージしていたと言う、20歳前の兄。歯や、頭髪は、本人の希望のように健康でしょうか・・・。

今となっては、歯や髪は多少痛んでいても、元気で生きて、日本に戻れる事を、目指しているのではないでしょか。


全員奪還=金政権崩壊です。


12月16日に、東京、大阪同時開催で、特定失踪者問題調査会主催の初集会「しおかぜの集い」が行なわれます。間もなく詳細の解かるチラシ等の準備が出来てくると思います。このブログでも、別途詳細のご報告をいたします。
KONAも家族実行委員として頑張りますので、当日までの広報の協力、当日のボランティア、沢山の皆様の参加、ネット中継視聴の協力を切にせつに、お願い申し上げます。
posted by KONA at 09:11| Comment(1) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月07日

マッピングリスト13(車ごとの失踪)

7月末に調査会から発表になりましたが、掲載が遅れてスミマセン。
元々荷物持ちが、引越ししたため、まだ、ダンボールが片付いていない有様です・・・。
7/28には、藤沢で、市民集会がありましたが、予告を掲載しなかったばかりでなく、その様子もお知らせしないままですね・・・。兄貴に怒られないように頑張りますm(_ _)m

−−−調査会ニュースより引用−−−

マッピングリスト13(車ごとの失踪)

◎車ごとの失踪について

・車の処分は単独では困難が伴う。したがって国内に協力者がいた可能性が高い。解体業者等の協力を得たのではないかと考えられる。

・車を残した拉致の場合は何らかの偽装工作が考えられるが、車ごとの失踪(拉致)では逆に全く証拠を残さないようにしたと考えられる。

・乗車した人間を拉致するとすれば、顔見知りか、もしくは何らかのコミュニケーションがとれる状況をつくり出した上で拉致に及んだのではないかと考えられる。

・車が残されたケースも含めて、夫婦、アベックなど複数で失踪しているケースが多い。

・年代的な偏りが見られる。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
A(男)・B(女)
昭和44(1969)年
大阪府〜和歌山県で車ごと失踪。

園田 一・敏子
昭和46(1971)年
鹿児島県大崎町から宮崎空港に向かったまま車ごと失踪。

峰島英雄・関谷俊子・遠山常子
昭和49(1974)年
千葉市内の飲食店から「家に送っていく」と3人で出かけたまま車ごと行方不明に。

石川和歌男
昭和49(1974)年
東京都八王子市で職場の忘年会終了後、同僚を車で送った後、車ごと失踪。

C(女)
昭和49(1974)年
徳島県内の自宅から普段着のまま車で外出し失踪。車も見つかっていない。

D(男)・E(女)
昭和53(1978)年
Eさんが岩手県内の勤務先に出勤せず。同日上司のDさんも失踪。Eさんの自家用車が発見されていない。

川合健二
昭和54(1979)年
山梨県内で接触事故を起こし被害者を病院に送り届け、「免許証を取ってくる」と言い残し、車ごと行方不明。


昭和54(1979)年
長崎県内で仕事に出かけたまま行方不明。車も見つからず。

安達俊之・G(女)
昭和56(1981)年
石川県鶴来町の友人宅を車で出たまま、車ごと行方不明。

H(男)
昭和58(1983)年
名古屋市内の現場での仕事を終え、自宅に「これから帰る」と電話をしたまま、車ごと失踪。

I(女)
昭和59(1984)
福井市にて、仕事について2日目に失踪。乗っていた自家用車も見つかっていない。

J(男)
昭和62(1987)年
大阪府内の下宿先から失踪。車もなくなっていた。

K(男)・西村京子
昭和62(1987)
山口県湯田温泉の居酒屋から、Jさんの車に乗って出かけ行方不明。車は見つかっていない。

和田幸二
昭和63(1988)年
宮崎県南郷町のスナックを出て友人を送り届けた後、車ごと行方不明。

小宮山広明
平成7(1995)年
長野県坂城町で失踪。車も不明。

曽ヶ端崇史
平成7(1995)年
北海道釧路市で食事をし、友人を車で送った後、車ごと行方不明。

安西正博
平成8年(1996)年
名古屋市内の会社寮から車で出かけたまま行方不明に。車も見つからず。

L(男)・M(男)
平成9(1997)年
茨城県波崎町のKさんの自宅から友人Lさんの車に同乗して出かけたまま2人とも行方不明。

和田佑介
平成14(2002)年
広島市内の自宅アパートから失踪。車もなくなっていた。
−−−引用終わり−−−

人が居なくなるばかりでなく、あの大きい車ごと、いなくなるというのは、どういった様子で、拉致工作が繰り広げられたのでしょうか?

また、拉致でなかったとしたら、どんな事件が想定できますか?

そしてあなたは、拉致とそうでない事件との切り分けが出来ますか?
posted by KONA at 11:56| Comment(0) | TrackBack(0) | マッピングリスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月30日

そして今年も31回目の7/30となりました。

兄・高野清文が、神津島で忽然と消えて、31年が経ち、今年もまた、7/30が来ました。

31年前の兄は、今頃どんな目に遭い、何を思っていたのでしょうか・・・?
31年も経ってしまった、今この時、何を思っているのでしょうか?
生き抜くため、金政権の方針に逆らわず、自分の心を殺して、日本の事や、家族の事を、思い出すこともできないまま、生きているのでしょうか?

せめて、31年前の出来事や、日本に居た頃の事を思い返す、余裕のある心であることを、願わずにはいられません。


参院選の結果が出ましたが、どこの政党が政権を取ろうとも、誰が首相になろうとも、日本の主権と、国民の命を守る義務の元、日本国の力で拉致事件は全面解決されなければならないはずです。
自力で拉致事件の解決の出来ない(する気の無い)日本ならば、それはもう、平和ボケして、国と名のつくものでは、なくなっている。
そうなってしまうのが、実は一番怖いと感じています。


私の個人的意見でお話すると、「生活が第一」とTVCMでおっしゃっている、参院第一政党になられた、党首の方が、昨年のメーデーで、調査会ブースの隣で、わんこそばのパフォーマンスをしていた辺りを見るのと・・・、
http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/17263714.html
国内向けの拉致PRCMに膨大な資金をかけたり、ラジオ放送では、拉致の可能性のある人の名前を、読み上げる事もしてはくれない、政権政党と・・・、
どちらも拉致の本質を見極めてはくれないのだろうかと、彼の地の兄を遠くむなしく、かすんで見える思いです。


この選挙を期に、もっと美しく強い日本になってください。
味方であるべき日本国政府さえも、拉致被害者の敵になってしまわぬように・・・。
posted by KONA at 16:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 兄・高野清文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月23日

21日の東京新聞夕刊に、記事が載りました。

21日、調査会で、「しおかぜの集い」実行委員家族の集まりがありました。ちょっぴり遅れてしまったのですが、家を出発しようとしたその時、東京新聞の築山記者から、お電話がありました。

引越しに追われる7/3に取材を受けた内容について、本日の夕刊に掲載になります。とのことでした。

「切捨てないで 拉致問題、失踪者家族の思い」
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007072190140105.html

本当は直ぐにでも、こちらに掲載したかったのですが、まだ自宅のネット環境を構築しきれていないため、今日のお知らせとなりました。

これまで、このブログを続けて訴えて来た事を、取り上げて頂いた形になり、丁寧に取材頂いた、築山様にはとても感謝しております。
今後とも拉致事件全面解決まで、ご協力くださることを、改めてお願い申しあげます。


また、同じ21日に下のマッピングリスト12に関係のあるご家族の方から、メールを頂きました。

KONAの兄を思う気持ちと、ご自身の家族を思う気持ちが重なったようで、結婚し、家族実行委員になった、KONAにお祝いと、激励の気持ちを温かく送ってきて下さいました。
同じ心情を持つ者同士、綴られた文字に思わず涙しました。

こういった表に出てこられない、ご家族の為にも、頑張って戦って行こうと改めて思います。
メールを頂いたご家族の方、ありがとうございました。大切な家族に再会できるまで、共に頑張りましょう!!


さて、「しおかぜの集い」実行委員になったKONAですが、このブログをご覧の皆様で、これまでの拉致関係の集いとは一味違う、こんな事をやったら、失踪者問題を広め、家族の気持ちを理解しやすくし、ひいては政府を動かす力になる、という様なアイディアはございませんか?

時期は12月中旬、北朝鮮人権週間に合わせて、メイン会場は、朝霞で行なわれる事になると思います。

可能かどうかは解かりませんし、実行できるかも不明ですが、当事者でない方は、どのような内容なら解かりやすいのか、参考に意見をいただける方は、コメント・メールへご意見をおよせ下さい。よろしくお願いいたします。


2007年07月05日

マッピングリスト12(車を残しての失踪)

引越しの慌しさで、掲載が遅れましたが、6月末に調査会から、「マッピングリスト12」が発表されましたので、皆さんも捜査員、や工作員になったつもりで、謎や意図を解明してみてください。

−−−調査会ニュースより引用−−−

マッピングリスト12(車を残しての失踪)

★車が残されての失踪について

(1)偽装工作のために車を利用した可能性がある(失踪場所の偽装、自殺や家出など、拉致以外の失踪への偽装)

(2)長距離の移動により、捜査を困難にすることが可能。
拉致実行とは別に車を移動させたとすると、複数の人物が関わっている可能性がある。その場合、運転した者は日本の道路事情に詳しい人物であると考えられる。
事件に結びつくと思われるケースが多いが、当時警察によって詳しく捜査が行なわれたケースは少ない。

※これ以外に「車ごとの失踪」が15件あるが、今回は除外している。

●米川茂雄 昭和40(1965)年 東京都中央区の築地がんセンターで自家用車を発見。
・車の査定のために出かけていた。

●  A  昭和47(1972)年 山形県の海岸で自家用車が海へ転落。
・車を引き上げたが遺体が見つからず。車検証だけが海に浮かんでいた。

●  B  昭和48(1973)年 福井県の海岸で自家用車を発見。

●三浦和彦・波多野幸子 昭和49(1974)年 福岡県の芥屋海岸で自家用車を発見。
・二人の靴が片方ずつ海岸に残されていた。

●清崎公正 昭和49(1974)年 兵庫県尼崎市内で軽トラックを発見。

●地村保志・浜本富貴恵 昭和53(1978)年 福井県小浜市の展望台で自家用の小型軽トラックを発見
・ハンドルが一杯にきられ、キーがウインカーのレバーに掛けられていた。

●市川修一・増元るみ子 昭和53(1978)年 鹿児島県吹上浜で自家用車を発見。
・車内にるみ子さんのカメラやバッグが、車の近くに市川さんのサンダルが片方残されていた。

●山田健治 昭和54(1979)年 福井県高岡市の越中国分駅で車を発見。
・ジョギング用のジャージが残されていた。普段この場所に車を止め、着替えてジョギングをしていた。

●  C  昭和55(1980)年 静岡県下田市の海岸で自家用車を発見。
・本人は当時埼玉県に居住。ドライブで単身下田を訪れたが、高速道路の領収証は1枚しか残されていなかった。また同じ銘柄の缶コーヒーの空き缶が2つ助手席に残っていた。

●鈴木清江 昭和57(1982)年 静岡県袋井市の居住地近くの空き地で自家用車を発見
・車はロックされていた。財布と買い物したものが残されていたが、バッグがなかった。

●広田公一 昭和59(1984)年 鳥取県大山登山口の駐車場で自家用車を発見。
・登山靴などは車内に残されたまま。また登山口までの行程が記されたメモが残る。

●  D  昭和60(1985)年 茨城県内のファミリーレストラン駐車場で自家用車を発見。
・別の場所で本人と同じ血液型の毛布が発見された。

●  E  昭和61(1986)年 大阪市内の駐車場で自家用車を発見。

●  F 昭和61(1986)年 山形県の港で軽ワゴンを発見。
・本人は自宅から農作業のため畑に向かった。

●  G  昭和62(1987)年 新居浜から神戸へ向かうフェリーに車だけ残され、本人が行方不明

●岡元幸弘 昭和62(1987)年 神奈川県横須賀市の火力発電所脇で自家用車を発見。

●尾上民公乃 昭和62(1987)年 福岡県博多港の岸壁から車が転落。遺体なし。
・車は友人のもの。前日に大阪市内で助手席に乗って友人を待っている間に車ごといなくなっていた。

●山下 貢 平成元(1989)年 福井県越前町の海岸沿いで自家用車を発見。
・釣りに出かけて行方不明。車内に長靴、食べかけのおにぎり、免許証が残されていた。釣り竿は未発見。

●河田君江 平成2(1990)年 山口県豊浦町で失踪 同県阿武町で自家用車を発見
・運転の時は靴を履き替えていたが、運転席には泥がつき、助手席にはシダの葉が見つかった。途中で数カ所で買い物をしたレシートが残されている。また本人の血が付着したカミソリも残されていた。

●清水圭子 平成2(1990)年 岡山県芳井町で失踪 井原市の書店駐車場で自家用車を発見
・免許証、財布、ハンカチの入った小さなバッグのみがなくなっている。また普段履くハイヒールは残されていたが、運転用のズックが見当たらなかった。

●小野寺将人 平成3(1991) 北海道富良野のホテル駐車場でレンタカーを発見。

●松橋恵美子 平成4(1992)年 秋田県合川町で失踪 能代市の海岸で自家用車を発見
・車内に身の回りのもの全てが残されていた。またコンサートのチケットが2枚あった。

●田中正道 平成5(1993)年 千葉県習志野市で自家用車を発見
・車はパンクし、乗り捨てられたような状態。財布、健康保険証などが残されていた。

●富川久子 平成6(1994)年 沖縄県石垣島御神崎灯台で本人の車を発見。
・店で買った子供のミルクはあったが、「買いに行く」と言っていたバレンタイン・チョコレートはなかった。

●松永正樹 平成7(1995)年 北海道苫小牧市の店舗駐車場で自家用車を発見。
・自宅は香川県。福井、北海道で給油した形跡がある。車内には車検証以外遺留品なし。本人が差出人となって車番号、銀行口座番号、暗証番号を書いたメモ、印鑑、車のキーが入っていた。

●岩本美代子 平成7(1995)年 宮崎県石崎浜海岸で自家用車を発見。
・車は砂浜に乗り上げた状態。鍵はついたままで、車内は荒らされていた。後に質屋で本人のカメラが発見される。

●  H  平成8(1996)年 失踪から1年後、北海道釧路市の埠頭で友人の車を発見。
・友人とともに乗車していた。二人とも未発見。

●  I  平成8(1996)年 福井県丹生郡の海岸で自家用車を発見。
・本人は京都府の自宅からいつものように車で出勤。その日の午前中に福井県内でスピード違反で検挙されている。

●竹内 卓 平成8(1996)年 神奈川県丹沢で借りていたレンタカーを発見。

●  J  平成9(1997)年 茨城県鹿島郡で友人の車を発見。友人と二人が行方不明。

●  K  平成9(1997)年 長野県八方尾根麓で車を発見。
運転席と後部のドア・ロックが外れていた。バックミラーが曲がっていた。キーはなし。コンビニのレシートが残されていた。眼鏡、小銭入れが残されていた。
登山靴や登山道具はなし。

●  L  平成9(1997)年 岡山県倉敷市の駐車場で自家用車を発見。

●渡辺栄一 平成9(1997)年 北海道瀬棚郡の川沿いで自家用車を発見。
・車は指紋がきれいに拭き取られた状態だった。

●林 雅俊 平成10(1998)年 福井県丹生郡越前町の海岸で自家用車を発見。
・当時岐阜県垂井町に居住。約2週間前にもこの地域を訪れていた。車内に書き置きのような内容を記したノートパソコンが残されていた。

●松井綾子 平成10(1998)年 茨城県神栖町の海浜公園駐車場で自家用車を発見
・居住地水戸から千葉県の東金、銚子と移動した形跡がある。また途中、給油カードを作成(本人自署)、コンビニエンスストアーで買い物をしたレシートが残されていた。

●坂川千秋 平成12(2000)年 岩手県九戸郡高家漁港で自家用車を発見
・勤務先ガソリンスタンドで給油。メーターと車発見現場までの走行距離が不一致。他の場所を経由したと考えられる。途中のコンビニエンスストアーでビールを購入したレシートが残されている。また本人は普段カーステレオを大音量にするのだが、発見時は音量が絞られていた。

●澤辺和也 平成13(2001)年 京都府宮津市の山中で自家用車を発見。
・車は山中で爆発炎上。遺体はなかった。

●  M  平成14(2002)年 大阪市内の建設現場で自家用車を発見

−−−引用終わり−−−

兄・清文の失踪と関わりは無いように思われますが、神津島へ、真鍋さんと調査に行った際は、「足」「軟禁場所」としての車について、地元の方々に確認をされていた事を思い出します。
神津島は、小さな島の為、人知れず島の外に、車を持ち出すことが、ほぼ不可能なため、車やバイクに至るまで、キーがつけっ放しという、とてもおおらかで、平穏な場所です。
したがって、所有者が知らないうちに、使用され、元に戻されていたら、拉致の犯罪に使用された跡は残らないという事なのです。

拉致事件において、本人の身代わりとして、工作に利用される事の多い大きな遺留品・・・。
その一つが車なのかも知れません。


posted by KONA at 11:13| Comment(1) | TrackBack(7) | マッピングリスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月03日

07/7/7 結婚します!!

2007/7/7に入籍します。

バタバタしている関係で、拉致関連の活動も控えていますし、このブログへの記載も鈍っていてすみません。

昨年の7/27にこのブログに、記した事があります。
http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/21484947.html
結婚か兄か・・・。答えは結婚も兄もです。

一番悩んでいた頃、三浦小太郎先生にも、「まず貴女の幸せを考えなさい」と言われました。

挙式は生活が落ち着いてから考えます。願わくば兄にいて欲しいと、強く思います。
配偶者となる男性は、一緒に戦うというより、戦っているKOANを支え、癒してくれる存在です。

07/7/7にした理由は、パチンコ業界=金政権にばかり良い思いはさせない!!
こちらがフィーバーしてやるっっ!!と言う思いから。

婚姻届の証人2名には、兄・清文と同じ歳の調査会:荒木代表・真鍋専務のお二人に署名して頂き、七夕に提出する事で、短冊代わりに、兄の帰りと、拉致事件の全面解決の、願いをかけようと思っています。

コレを機会に、右リンクに、荒木代表と、真鍋専務のブログを追加いたしました。

そして、忘れてならないのは、この日は「古川了子さんが拉致された日」でもあることです。

新居は、東京江東区、後藤美香さんの失踪地でもあります。
年配のお父様が、心配して、帰りを待っています。
また、兄の本土最後の場所「竹芝桟橋」も比較的近くです。
6/23から3週間かけて、運送屋のトラックドライバー(引越し業務経験豊富)のフィアンセと、自力で少しづつ引っ越しています。

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写真は、横浜の部屋から見た、元横浜プリンスホテル方面です。
私がこの地を離れるのと時を同じくして、ホテルの閉鎖、解体を行なっていて、もう高さも半分ぐらいになっています。
下半分の草むらは、数年前まで、畑で、収穫した野菜を路上販売していた事もあり、都会に居て、父の菜園を思い出したり、田舎の様に四季を感じる事が出来ました。
夏には、この方面に横浜の花火大会を遠くに見ることが出来ましたし、オメガトライブの好きなKONAとしては、杉山清貴の出身地であり、窓を開けて、オメガの曲とお酒を片手に、都会とリゾートと、海の気配と夜景を満喫できる素敵な部屋でした。
7/15の花火を最後にここを離れます。

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東京に憧れて上京し、運命によって杉並区から横浜に住みましたが、偶然とは言え、人生の十数年を横浜で過ごす事が出来たのは素敵な経験でした。
再び東京に居を移して、これまで以上に、東京に住んでいる時、東京の島で行方不明になった兄が、北朝鮮による拉致ではないか、追求して行きたいと思います。

さよならYOKOHAMA!!

2007年06月05日

5/20パネル展他の様子

5/19〜20にかけて行なわれた、藤沢でのパネル展の様子を、今更ですが、画像を掲載したいと思います。

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種類も増えた、調査会の短波放送「しおかぜ」の支援グッズと、母の編み物作品販売スペースです。

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調査会からお借りした、神奈川県関係の失踪者パネルの展示コーナー。
KONAも、個人作成の、パネルファイルを置いて、解説に立ちました。

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昼には、込み合うほどの来場者がありました。二日合わせて、250人ぐらいの来場者ではなかったかと思います。

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19日は、パネル展を他の方におまかせして、ポールさんの「めぐみさん救出ライブ」を見に行きました。画像は、報道関係者の様子と、会場内の様子です。

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また、画像左は、昨年06.12.2の、画像右は07.3.10の日本再生フォーラムでの販売スペースの様子です。
3/10の石高健次さんの講演の様子は、日本再生フォーラム様のHPで是非ご覧になってみてください。
http://saisei.ifdef.jp/contents/20.html/

沢山のみなさんのご来場、心より感謝申し上げます。
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